晋国(西晋)
西晋:(西暦265年〜西暦316年)
東晋:(西暦317年〜西暦419年)



『魏』は、[曹操]の息子、[曹丕]により『後漢』王朝を滅ぼして建国されたものの、
 初代皇帝の彼が長生きせずに死去してしまい、
 まだ若い長男[曹叡]が二代皇帝になります。
 そんな彼を支えたのが[司馬懿]でした。
 
[司馬懿]は『五丈原の戦い』で[諸葛亮]を下したものの、
 [曹叡]は、この後、国費を浪費するようになっていきます。

 やがて彼も死去。まだ幼い皇帝[曹芳]が傀儡化されるものの、
 『正始の変』という[司馬懿]達のクーデターにより、国は保たれました。
 これ以後、『魏国』は実質彼ら一族の支配下になります。
 
やがて[司馬懿]の次男、[司馬昭]が『蜀』を降伏させ、
 彼の長男[司馬炎]は、『魏』の国を解体し『晋』としました。
 そして15年後、『呉』を降伏させ、三国は統一されたのです。
 
その後、[司馬炎]の晩年に彼の後継者争いが起き、
 『八王の乱』という、一族の争いが次々と勃発。
 更に、これを狙った、北方民族の来襲により、実質統一王朝は滅びます。
 
亡命政権『東晋』は続いたものの、
 勢力としては非常に弱く、やがて滅びることとなりました。



「晋国」の歴史→

「晉国」の人々
※「晉国」建立に関わった「魏国」の人々を含みます。 

-君主・皇帝-
-『司馬』氏-
 
(「魏国」の武将・将軍)
[司馬炎]の祖父、
司馬八達の次男

「魏国」の武将
[司馬懿]の長男

「魏国」の武将・晋王
[司馬懿]の次男

[司馬望 子初]
「魏国」の武将・「晋国」の臣下
[司馬昭]の族兄

[司馬幹 子良]
[司馬懿]の七男

(「晉国」初代皇帝)
[司馬炎 安世]
(武皇帝)
「司馬昭」と「王元姫」の長男

(「晉国」二代皇帝)
[司馬衷 正度]
(恵帝)
「司馬炎」の次男

 (「晉国」三代皇帝
[司馬熾 豊度]
(懐帝)
 「司馬炎」の第二十五子
 
(「晉国」四代皇帝)
(「西晉」最後の皇帝)
[司馬? 彦旗]
(愍帝)
 「司馬炎」の孫

-[司馬懿]の兄弟-
 “司馬八達”
 
[司馬馗 季達]
(「魏国」「晉国」の臣下)
 「司馬懿」の弟(兄弟の三男)

[司馬孚 叔達]
(「魏国」「晉国」の臣下)
 「司馬懿」の弟(兄弟の四男)

[司馬恂 顕達]
(「魏国」「晉国」の武将)
 「司馬懿」の弟(兄弟の五男)

[司馬進 恵達]
(「魏国」「晉国」の武将・臣下)
 「司馬懿」の弟(兄弟の六男)

[司馬通 雅達]
(「魏国」の臣下)
 「司馬懿」の弟(兄弟の七男)

[司馬敏 幼達]
(「魏国」の臣下)
 「司馬懿」の弟(兄弟の八男)

   
-[司馬懿]の子-
   
-母:[伏貴妃]-
[司馬亮 子翼]
 [司馬懿]の三男、“八王”の一人

[司馬チュウ 子将]
 [司馬懿]の四男

[司馬京]
 [司馬懿]の五男

[司馬駿 子臧]
 [司馬懿]の六男

   
-『王』氏-

「司馬昭」の正室、
「司馬炎」の母

   
-『張』氏-

[張春華]
 [司馬懿]の正室、
[司馬師]、[司馬昭]の母
 




「魏国」武将

「魏国」武将

「魏国」武将

「魏国」武将、“行軍司馬”

[文鴦]
「魏国」「晋国」武将

[王基 伯興]
「魏国」武将

[王キ]
「魏国」武将、“天水太守”
[ケ艾]配下

[牽弘]
「魏国」武将

[高柔 文恵]
「魏国」武将

[州泰]
「魏国」武将

[荀ガイ]
「魏国」武将、[荀ケ]の曾孫
[鍾会]配下

[成済]
「魏国」武将

[成倅]
「魏国」武将、[成済]の弟

[石苞 仲客]
「魏国」武将

[陳ケン 休淵]
「魏国」武将

[陳俊]
「魏国」武将

[田章]
「魏国」武将

[田続]
「魏国」武将

[馬隆]
「魏国」武将

[楊欣]
「魏国」武将、“金城太守”

 [王観 偉台]
「魏国」臣下

[王トウ]
「魏国」臣下、[司馬昭]の主簿

[何テイ 元幹]
「魏国」臣下、“幽州主簿”

[丘本]
「魏国」臣下

[荀ガイ]
「魏国」臣下

[荀キョク]
「魏国」臣下、[荀ケ]の同族

[裴秀 季彦]
「魏国」臣下、[司馬昭]の腹心

 [夏侯覇 仲権]
「魏国」武将、「蜀国」武将 
「晋国」の時代の武将


「晋国」の時代の臣下
 
[王渾 玄沖]
『魏国』『晋国』武将

[胡奮 玄威]
「魏国」武将、[胡遵]の次男

[胡烈 玄武]
「魏国」武将、[胡遵]の三男

[胡淵 世元]
「魏国」武将、[胡烈]の子
 [賈充 公閭]
『魏国』『晋国』臣下

[王業]
『魏国』『晋国』臣下

[王沈]
『魏国』『晋国』臣下

[張華]
『魏国』『晋国』臣下

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司馬懿 仲達
司馬懿 仲達