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西暦208年 『長坂の戦い』
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「[曹操]と[劉備]の明暗」
[袁紹]に勝利をした[曹操]は、[袁紹]一族を討伐して、
《北方》の平定を果たそうとしていました。
一方で、未だにその拠り所を持たない[劉備]は、
同族の[劉表]を頼り、《荊州》に身を寄せて、
国境の守備を任されていました。
「[劉備]、伏龍を得る」
[劉表]の元でつかの間の平穏を得た[劉備]ですが、
彼の元に好機が訪れることはなく。
しかしやがて[劉備]にも転機が訪れることになります。
“伏龍”と呼ばれる賢者[諸葛亮]を、
[劉備]は、“三顧の礼”によって軍師に迎え入れました。
「“天下三分の計”」
[諸葛亮]は、《荊州》《益州》を手に入れて『呉』と結び、
[曹操]に『魏』に対抗するという、“天下三分の計”を[劉備]に説きました。
しかしその時すでに[曹操]は、北方を平定して、
南征の準備を進めつつありました。
「[劉備]、窮地へ」
208年、[劉表が]病没し、相続争いの末に、
次男の[劉ソウ]が《荊州》を継ぎました。
しかしながら[曹操]の大勢力の前にあえなく彼は降伏。
《樊城》にいた[劉備]は孤立をしてしまいます。
「逃走の[劉備]」
『曹操軍』の接近を知った[劉備]は、
形勢不利とみて、南へと逃亡しました。
城を捨て、軍備の豊富な《江陵》を目指します。
[劉備]の慕う《荊州》の兵や民も加わって、
その集団は10万以上となっていました。
「『曹操軍』の追撃」
逃げる『劉備軍』は民が混じって足取りが遅く、
一方、追う『曹操軍』は、五千の騎兵を選抜して、
たちまちのうちに急迫して《当陽》の《長坂》に差し掛かった所で、
ついに『劉備軍』を捉えました。
「[趙雲]の単騎駆け」
『劉備軍』は潰走し、[劉備]の妻子は置き去られてしまいました。
この時単騎で引き返したのは[趙雲]です。
[趙雲]は[劉備]の嫡男である[阿斗]を救い出し、
敵中を切り抜けて、[劉備]の元に帰還しました。
「《長坂橋》の仁王立ち」
さらに、逃れる[劉備]の殿は[張飛]が努めました。
《長坂橋》まで来た[張飛]は、仁王立ちするや大喝し、
それに恐れをなした『曹操軍』が退却している隙に、
橋を落として引き上げるのでした。
「[劉備]、虎口を脱する」
なおも迫り来る『曹操軍』の前に立ち塞がったのは、
軍勢率いて駆け付けた[関羽]でした。
『曹操軍』は退却をして、窮地を逃れた[劉備]一行は、
船団と合流して東の《夏口》へと向かいます。
「大戦へ…」
その頃、『呉』は[孫権]が収めていました。
父[孫堅]の戦死の後、《江東》を制覇して礎を築いた兄[孫策]も、
早くに暗殺されてしまい、その跡を継いでいたのです。
[劉備]はこの[孫権]に己の命運を賭けることになります。
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