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第五部「奸雄終命」第五十八集
時代背景:210年(建安14年)
第五部が始まりました。
[周瑜]は臨終の際に、大都督の後任を[魯粛]に任せます。
これに対して戸惑いをみせる[魯粛]でしたが、
[孫権]に説得され、己の任を理解したのか、
兵符を受け取ってこれを継ぐことになるのでした。
[周瑜]の葬儀が行われ、
何とここに彼に死を招いた張本人と思われる[諸葛亮]が現れます。
彼の命を取ろうとばかりの武将達に囲まれている中、
[諸葛亮]は感動的な弔いをし、『孫呉』の武将達にも涙を誘い、
これに難を逃れるのでした。
[魯粛]はこれが[諸葛亮]の芝居なのではないか、
と思うのですが、果たして彼の本心はいかに?
しかし[周瑜]を侮辱する、奇妙な風貌の男が現れます。
この態度に[孫権]は怒り心頭になるのでしたが、
彼こそ[諸葛亮]も、そして[魯粛]も求めていた奇才、
鳳凰とも言われる[ホウ統]という人物なのでした。
[ホウ統]はその場から追い出されてしまいますが、
[諸葛亮]は彼の事を知っていて、酒場で見つけて、
彼と話し合うことになるのです。
[ホウ統]の才能を知る[諸葛亮]は、
彼に《荊州》に来るように持ちかけますが、
まだ[劉備]の事を彼は軽くみているのです。
そんな[ホウ統]は自分自身の足で《荊州》にやってきて、
[劉備]の治める土地に仕えようと考えていました。
そして県令を務める事になる[ホウ統]。
《荊州》を治めるために、賢人たちを県令としていた[劉備]でしたが、
偽名を使って任に当っている[ホウ統]だけは何もしておらず。
[張飛]が業を煮やして赴いてみると、
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[ホウ統]は仕事などすぐに出来ると、実際に、
何日もかかる県令の仕事を、すぐにやってのけてしまうのでした。
この才能を知らされた[劉備]は、いてもたってもいられないという様子で、
[ホウ統]に会いに来るのです。
このエピソードの注目点
「『孫呉』と和睦を結ぼうとする[諸葛亮]」
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[諸葛亮]は[周瑜]の死に対してどのように思っているのか。
これがまずこの話のテーマの一つ。
[魯粛]にはこれが芝居なのではないかと思われていますが、
実際、本心ながら[諸葛亮]も悲しんでいたのだろうと思います。
しかし彼があえて、『呉』に赴いて、
喪に服するという敬意を見せたのでしょう。
[諸葛亮]が[周瑜]が死んでもいいと思っている人、とは描いていないので、
『呉』と良好な関係を再び築きたい意志があったのでしょう。
[魯粛]は[周瑜]より穏健派なので、
このまま良好な関係が続けばよかった、のですが―。
注目の人物
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[ホウ統 士元]
吹替:斎藤志郎
178年(179年)〜213年(214年)
通称鳳雛と呼ばれる人物で、[諸葛亮]に匹敵する、
といわれるほどの才人でした。
実際に[諸葛亮]と同じ師[司馬徽]に教えを受けています。
身なりが冴えなかったということで、評判がなかったそうですが、
人物鑑定でも有名な[司馬徽]に才能を認められ、
ようやく名が高まったと言います。
《荊州》を領有した[劉備]のところに現れたということですが、
[劉備]を試すような素振りをしてみせ、
これが彼によって認められ、[?統]も[劉備]の才能を認めていたため、
正式に軍師として登用されるようになります。
そして[劉備]の《西蜀》をとる戦いで、
非常に重要な役割を果たすことになるのです。
『三国志演義』ではもっと前から登場し、『赤壁の戦い』で、
火計が確実に成功させるために、[曹操]に取り入り、
鎖で船をつないでしまい、火から逃げられないようにするという、
“連鎖の計”の策略をしています。
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