三国志 Three Kingdoms 第59話 「銅雀台に詩を戦わす」


三国志 Three Kingdoms 第58話 「諸葛亮、喪に服す」




「ならば私は明日、詩を二篇用意します。
もし重臣たちが、父上の志を褒めれば、その一篇を用います。
もし欠席したり、父上を褒めなければ、別の一篇を使います。」

―[曹丕 子桓]



第五部「奸雄終命」第五十九集

時代背景:210年(建安14年)〜211年(建安15年)


[劉備]は、賢人であるという[ホウ統]を訪ねて、

酒を振る舞って、あつい歓迎をします。

一度はしないものとしていた仕官を継続し、[ホウ統]は、

[劉備]に忠誠を誓い、配下となるのでした。



その頃[曹操]は、皇帝陛下を招くための、

絢爛豪華な建築物である“銅雀台”を建築して、

これからの士気高揚のための宴を催していました。


[曹操]の息子達である[曹彰]は弓の腕前を披露し、

[曹植]は詩文比べで才能を見せます。



しかし長男の[曹丕]は、漢室の[献帝]を讃える詩を披露し、

これが[曹操]に不評を買うようでした。


《銅雀台》の宴会が終わり―、

不服な[曹丕]でしたが、

その様子を見ていた[司馬懿]は[曹丕]の後見人になると、

彼本人の前で言う、意外な決断をするのでした。



このエピソードの注目点
「[ホウ統]を得た[劉備]と、《銅雀台》の[曹操]」




[劉備]は、[諸葛亮]にも並ぶという賢人である[ホウ統]を得る一方、

[曹操]陣営でも《銅雀台》の建設など、

その権力が増していく様が描かれます。

しかしその中心に描かれていくのは、[曹操]の息子達。


主人公のように思惑が描かれる[曹丕]は、

《銅雀台》で詩を戦わせる[曹丕]と[曹植]。

前もって詩の題目を聞き出そうとしたり、

父[曹操]に気に入られる詩を用意しようとしたりなど狡猾な[曹丕]。

実は弟の[曹植]との才能には雲泥の差があるようなのですが、

これに[司馬懿]は一体何を見たのか。彼の後見人を買って出るのです。


注目の人物



[曹植 子建]
192年(初平3年)〜232年(太和6年)

吹替:鈴木一敦

[曹操]の息子で五男。母は[卞氏]。

幼いころより詩文に天才的な頭脳を発揮し、[曹操]に寵愛されていましたが、

酒を多くのみ、また奔放さを持っていたため、

[曹操]の怒りを買う事もあったとのこと。


[曹操]亡き前から、後継者争いで長男の[曹丕]と争う事になり、

結局は[曹丕]太子に、そして皇帝になってから、

[曹植]は各地を転々とする不遇な時代を送ります。


しかし彼の詩文の才能は後世にも認められ、現在にも残っている、

ものが多くて非常に有名です。

特に“七歩詩”は真作ではないと言われていますが、

これが[曹植]たらしめているものとしているのです。

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三国志 Three Kingdoms 第60話 「馬騰、都に入る」
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