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第五部「奸雄終命」第五十九集
時代背景:210年(建安14年)〜211年(建安15年)
[劉備]は、賢人であるという[ホウ統]を訪ねて、
酒を振る舞って、あつい歓迎をします。
一度はしないものとしていた仕官を継続し、[ホウ統]は、
[劉備]に忠誠を誓い、配下となるのでした。
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その頃[曹操]は、皇帝陛下を招くための、
絢爛豪華な建築物である“銅雀台”を建築して、
これからの士気高揚のための宴を催していました。
[曹操]の息子達である[曹彰]は弓の腕前を披露し、
[曹植]は詩文比べで才能を見せます。
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しかし長男の[曹丕]は、漢室の[献帝]を讃える詩を披露し、
これが[曹操]に不評を買うようでした。
《銅雀台》の宴会が終わり―、
不服な[曹丕]でしたが、
その様子を見ていた[司馬懿]は[曹丕]の後見人になると、
彼本人の前で言う、意外な決断をするのでした。
このエピソードの注目点
「[ホウ統]を得た[劉備]と、《銅雀台》の[曹操]」
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[劉備]は、[諸葛亮]にも並ぶという賢人である[ホウ統]を得る一方、
[曹操]陣営でも《銅雀台》の建設など、
その権力が増していく様が描かれます。
しかしその中心に描かれていくのは、[曹操]の息子達。
主人公のように思惑が描かれる[曹丕]は、
《銅雀台》で詩を戦わせる[曹丕]と[曹植]。
前もって詩の題目を聞き出そうとしたり、
父[曹操]に気に入られる詩を用意しようとしたりなど狡猾な[曹丕]。
実は弟の[曹植]との才能には雲泥の差があるようなのですが、
これに[司馬懿]は一体何を見たのか。彼の後見人を買って出るのです。
注目の人物
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[曹植 子建]
192年(初平3年)〜232年(太和6年)
吹替:鈴木一敦
[曹操]の息子で五男。母は[卞氏]。
幼いころより詩文に天才的な頭脳を発揮し、[曹操]に寵愛されていましたが、
酒を多くのみ、また奔放さを持っていたため、
[曹操]の怒りを買う事もあったとのこと。
[曹操]亡き前から、後継者争いで長男の[曹丕]と争う事になり、
結局は[曹丕]太子に、そして皇帝になってから、
[曹植]は各地を転々とする不遇な時代を送ります。
しかし彼の詩文の才能は後世にも認められ、現在にも残っている、
ものが多くて非常に有名です。
特に“七歩詩”は真作ではないと言われていますが、
これが[曹植]たらしめているものとしているのです。
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