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第四部「荊州争奪」第五十二集
時代背景:210年(建安14年)
《荊州》を収める事に成功した[劉備]らですが、
そんな中、[劉備]の妻である[甘夫人]([劉禅]母)が死去。
このことを聞きつけた[孫権]は、この期を利用し、
《荊州》を返還させる意味もあり、[周瑜]の策、
自分の妹を[劉備]に嫁がせることを口実にして、
彼を《孫呉》の地へと呼び寄せようとするのです。
そもそも、『孫家』と『劉家』が親戚になることによって、
この連携の影響力は[曹操]に対して脅威にもなるという、
確かな利点があるのでした。
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[孫権]は、[劉備]側に、入婿させるように[孫乾]に言い、
嫁にする妹は、いつ連れ帰っても良いとは言うのですが、
婿自らが行く事に、不満を隠せない[劉備]配下の[張飛]達。
しかし、やっと領地を手にした今、下手に波風をたてないためにも、
[劉備]は自分が入婿になる決意をします。
[諸葛亮]は、[周瑜]らの陰謀に巻き込まれないかと不安になります。
《荊州》は[諸葛亮]らに任せ、決め事も決め、
護衛は[趙雲]だけつけて、《孫呉》の地へと向かいます。
[諸葛亮]は信じられないらしい[関羽]と[張飛]は、
皆の心が彼へと移らないかと言い出すのですが、
[諸葛亮]を批判するなどもってのほかと激怒し、
今までの成果も[諸葛亮]ありで、これからも従わなければならないと、釘を指すのでした。
しかし[諸葛亮]は、[関羽]と[張飛]、それも、
[張飛]の粗暴さよりも、[関羽]の傲慢さが今後心配だと言うのです。
とはいえ[諸葛亮]に任せれば、無事安泰だろうと、
出立する決意をします。
出発するに当たり、[諸葛亮]は護衛の[趙雲]に三つの袋を渡します。
もし窮地に陥ったら、その袋を一つずつ開けるように言います。
一方『孫呉』では[周瑜]が、[諸葛亮]は自分の策など見抜いているだろうと、
そう測った上で、《荊州》を取る手はずを考えているのでした。
『孫呉』の《南徐》にまでやってきた[劉備]。
[趙雲]は[諸葛亮]の策で、結納品を買うように言います。
わざと、[劉備]と『孫家』の縁組の話を部下たちに広げさせ、
民の話題とするのです。
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街中の噂として、後先引かせないようにさせるというこの策に、
[孫権]は動揺します。これは、自分の母親にも伝わり、
妹を[劉備]の嫁として差し出す事に、
娘のことを溺愛している母の怒りを買うことになるのです。
[周瑜]の手先として[呂蒙]らが対策を練るのも間に合わず、
[劉備]はすでにやってきており、
[魯粛]らによって守られて、《孫呉》の地に降り立つのです。
[周瑜]は、この隙に《荊州》を取ってしまおうと、
軍を動かそうと考えます。
母が動かなければ、策のままでよかったものの、
もはや戻ることもできなくなってしまった今、
[孫権]は同名の行く末を憂慮します。
このエピソードの注目点
「[劉備]の婚姻とそれにまつわる陰謀」
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[劉備]が『孫家』と婚姻を結んで、お互いに連携をすれば、
それは喜ばしいことなのですが、
もちろんこれは、政略結婚でもあり、
そもそも、婚姻まで結ぶ前に、[劉備]を始末して、
《荊州》を奪い返してしまおうというのが[周瑜]の策でした。
[周瑜]の考えなど見抜いているとばかりに、[諸葛亮]は、
この婚姻を逆に利用して、後に引けなくしてしまいます。
あと、婚姻の話はでてきていますが、肝心の嫁の[孫尚香(孫小妹)]が、
まだ出てきていませんね…。
注目の人物
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[呉国太]
?年〜?年
吹替:久保田民絵
[孫堅]の妻であり、[孫権]の母親ではない後妻。
一方で、[孫尚香]の母ではあるため、その娘を溺愛しており、
今回の婚姻については相当に反対していたそうです。
生没年不詳の女性ですが、長い間登場するので、
『孫呉』の大奥様であられるようです。
[孫権]や[周瑜]は、『孫呉』の利益を目的とした動きを見せる中、
人間味ある、自分の娘の幸せを願っている少ない人物の一人です。
[劉備]が、本当に彼女が見抜いた通りの人物だったら、満足できたのでしょうけれども…。
なお、“呉国太”の名は『三国志演義』での通称。
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