三国志 Three Kingdoms 第51話 「再び荊州を求める」

三国志 Three Kingdoms 第50話 「長沙の戦い」





「《荊州》での戦は必ず起こる。
今回の出陣は、その時のためでもある。
[子敬]殿。奴らに伝えよ。
奴らの手中にあるものは、時が経つほど返すものが多くなると。」
―[周瑜 公瑾]



第四部「荊州争奪」第五十一集

時代背景:210年(建安14年)



《荊州・長沙》を収める事に成功した[劉備]らですが、

[劉g]が死去し、その《荊州》を[孫権]らに返さなければならない状況になりました。

[孫権]は彼らの行動に不満を覚え、これを取り戻す決意をしました。

すでに[周瑜]も、《荊州》を取り戻すための戦に踏み切ろうとまで考えており、

これを[魯粛]が止めようと動きます。


[劉備]と戦をしてはならない、と、

[諸葛亮]は[曹操]がいる限り、[孫権]らは同盟を破らないと、

そのように[周瑜]は判断しており、

いつでもその[諸葛亮]の隙を突いて、《荊州》に攻め入るつもりでした。


しかしそれは囮の軍であり、[諸葛亮]を脅すつもりでもあったのです。

《荊州》を返さないのであれば、戦も行うと。

[劉g]の死に喪に服した[魯粛]は、

すぐにでも《荊州》を取り戻す交渉に入ります。




葬儀の日だからこそ、[劉g]の霊前であるからこそ嘘はつけない、

という[魯粛]に対して、[諸葛亮]は《荊州》は、

朝廷のものであり[劉備]が治めるべきだと言い出します。


[魯粛]ならば『漢室』と天守を救うことができる話ができるかと、

[諸葛亮]は饒舌に言いくるめてしまいますが、

[孫権]の勢力がいたからこそ、[曹操]に『赤壁の戦い』で勝つことができた、

その恩義は忘れたのかと、

そして約束は確かにしたと。[周瑜]は絶対に許さないだろうと、

さらには主君である[孫権]もそれは抑えられないと脅しにも入りました。


この状況下に、[諸葛亮]は、あくまでこの《荊州》を借地とし、

《巴蜀》の地を[劉備]が治めたら即時に《荊州》を還すと言い、

それの約定をさせます。


戦は避ける事が出来た[諸葛亮]ですが、両者の関係はまた悪化したのでした。

まるで進展が無かったと思う[周瑜]ですが、

[魯粛]にしては、あくまで『呉』のものであると認めさせた、

という点では進展したと言うのです。


そんな頃、今では[劉備]の唯一の妻であった[甘夫人]が死去。

[周瑜]は[孫権]の妹である、[孫小妹](孫尚香)との縁談を作り、

[劉備]だけおびき寄せるという作戦に出るのです。



そして縁談の話が[劉備]に持ちかけられ、

両家の縁組が実現すれば、[曹操]にも脅威になると、

使者の[呂範]は言い、[劉備]も承諾するのですが―。




このエピソードの注目点
「《荊州》争奪の情勢の悪化」



《荊州》は当時の中国大陸の中心地的なもの。

それを奪い合うことが行われるのは必然ではあります。

元々は『漢王朝』の領土であり、名目上それは変わっていない事になっていますが、

誰が支配をするのか。それは非常に重要な事になります。

[劉備]としては、自分が王朝復興のために、

足がかりとして無くてはならないところであり、

[孫権]としては、[劉備]に貸し与えたという土地であるという、

非常に重要な役割を果たすことになる土地なのです。


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三国志 Three Kingdoms 第52話 「劉備、呉を訪ねる」
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