三国志 Three Kingdoms 第46話 「荊州を争う」

三国志 Three Kingdoms 第44話 「曹操、華北に帰る」



「水の中が見えるか? 私も凡人の目だ。水面の下は見えぬ。
だが私には心眼があるのだ。目には見えぬが、心で感じられる。
この下には2尺の鯉がいる。
私も、[孔明]も、相手を魚に見立てている。誰が誰を釣るか。」

―[周瑜 公瑾]



第四部「荊州争奪」第四十六集

時代背景:209年(建安14年) 『南郡の戦い』


物語は[曹操]の元から離れ、再び[劉備]達の元に。

[劉備]は、《荊州》に対しての軍を進め始めており、

これに対して攻撃を仕掛けるべきと言う[甘寧]ら。

しかしながらこれに対して、[周瑜]は意外なことに、

《南郡》を[劉備]に取らせるように言うのです。


配下の[呂蒙]には明かす、[諸葛亮]の策は、

《南郡》を攻めるふりをしていると、そう考えていたのでした。

そして[諸葛亮]は、[周瑜]らが《南郡》で戦っている内に、

漁夫の利を得るつもりだろうと。



一方の[諸葛亮]は、[周瑜]を欺くために、彼の裏をいくため、

《南郡》攻めをわざと隠そうと動きます。

偵察にやってきた[呂蒙]を欺くために、戦いをしようとしていることを、

隠しているふりを見せるという手を取るのでした。

更に[劉g]もそこに援軍としてやって来ていると言うのです。

[劉g]は《江夏》に五万の兵があり、それならば《南郡》を攻められる。

と、[周瑜]は見抜きます。


[劉g]がいて軍もいるのか否か、直接偵察にやって来た[周瑜]。

実際、[劉備]の親戚の[劉g]はおり、重病に冒されているのでした。


それに対し、《南郡》は攻めて取るつもりだと、正直に話す[諸葛亮]。

全く譲らない[周瑜]は、三十日で《南郡》を取るといい、

自信を見せるのです。


そして、[周瑜]により『南郡の戦い』が始まりました。

《南郡》を守るのは『曹操軍』の名将[曹仁]であり、

彼らの軍の[牛金]と、[甘寧]らとの戦いが始まりました。



しかし[曹仁]は、わざと[牛金]を囮のように出兵させており、

これは、彼を追ってきた兵を、城へと引き入れるための策なのでした。


[周瑜]がやって来た時には、軍は[曹仁]によって壊滅させられており、

両者が激しいぶつかり合いを続けていきました。


このエピソードの注目点
“動き出す《荊州》の争い”



『赤壁の戦い』の激しい戦いに比べると、《荊州》を巡った争いは、

いわば政治的な領土争いにもなります。

しかし、この《荊州》という地が、三国の要所となるために、

これからの時代を描くためにはなくてはならない話なのです。


そして三国のバランスを保ち、危うくするものであったのも、

この《荊州》からなのです。

そのため、決して軽視をすることはできない土地なのです。

それは痛いほど描かれていく事になりましたね。


注目の人物



[甘寧 興覇]
吹替:大羽武士

西暦?年〜?年

元は山賊であったものの、突然思い立ったように[黄祖]の配下になり、

[孫策][孫権]に仕えた人物です。

元々が山賊であったためか、かなり粗暴な性格であったと言われており、

特に[凌統]とは、彼の父親を戦死させていることから不仲でしたが、

[呂蒙]が間に入った事によって、やがて共に戦うようになったと言われています。


彼が『夷陵の戦い』で戦死したというのは、『三国志演義』の創作ですが、

[孫権]が[甘寧]の死去を惜しむという話が伝わっています。


このドラマでは[周瑜]配下の若い武将であり、

[呂蒙][凌統][周泰]とともに描かれるのは、割りとお決まりのようです。

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三国志 Three Kingdoms 第47話 「智略で南郡を取る」
三国志 Three Kingdoms 第47話 「智略で南郡を取る」

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