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第四部「荊州争奪」第四十五集
時代背景:209年(建安14年)
『赤壁の戦い』から帰還し、暗殺を逃れて息子たちと再会した[曹操]。
彼は幼い息子の[曹沖]をえらく溺愛しており、
これには嫡男である[曹丕]は、ひどく気に入らない様子でした。
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[馬騰]は[曹操]の帰還で撤退していき、[曹操]は彼を追撃して、
始末するように命令するのです。
[曹丕]は[司馬懿]の事が気になり、彼がどんな人物であるかを尋ねるのですが、
[司馬懿]は世に類まれなる才人で、知恵や見識を持つ人物、
今まで誰も知らない、隠れた人材であると知るのです。
[曹丕]は、自分が[曹操]の後継になることができず、邪魔者になることを恐れ、
[司馬懿]の才知を利用しようとします。
しかもそれだけではなく―。
[司馬懿]は旧知の仲の人物と再会し、
自分が聡明さを感じているのは、[曹操]が溺愛している[曹沖]ではなく、
彼はその聡明さを隠せないという点からして、
[曹丕]の方が見込みがあると言うのです。
そんな中、突然、[曹沖]が蛇に噛まれて倒れ、
危篤状態に陥るという出来事が発生。
よりによって[曹沖]が、と言い放つ[曹操]に[荀ケ]は、
この蛇は、[曹操]の息子たちの誰かが放った蛇によるものだと、
口を濁す[荀ケ]は、[曹丕]がその犯人というのですが、
その直後、[曹丕]も蛇に噛まれて危篤になるということに。
そして[曹沖]は幼い体ゆえか、その毒に耐えられずに死去。
一方で、[曹丕]は一命を取り留めるのですが、
[曹操]の怒りと不甲斐ない気持ちは、息子たちにも向けられ、
三日の間、喪に服する事を彼らに命じます。
[曹丕]は、危篤状態から復帰したばかりだと、
[曹操]は止めようとするものの、彼も喪に服することに。
[荀ケ]は、誰が犯人であるか探ろうとさせます。
そして[曹沖]の棺の場だけ、兄弟たちの本性を出そうとさせるのです。
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案の定、[曹操]が犯人らしき行動を示すと言っていた通りの動きを見せていたのは、
[曹丕]であり、自分の息子がした恐ろしい事に、
この出来事は、あくまで、蛇がしたことと、そう決め込んでしまうのでした。
このエピソードの注目点
“[曹沖]の死とそれを取り巻く兄弟達”
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このエピソードで描かれるのは、[曹操]の息子たちによる骨肉の争い。
その中でも、[曹丕]と[曹沖]が描かれる事になります。
[曹操]は非常に子供が多いので、その後継者争いが、生きている間から起こっても、
不思議ではないことなのかもしれません。
自分が非凡な弟達に囲まれている事を知っている[曹丕]は、
[曹沖]の才能をひどく恐れているのですが、
自分の才能を隠すことができなかった[曹沖]よりも、
[曹丕]の方を認めるような素振りを見せる[司馬懿]は―?
注目の人物
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[曹沖 倉舒]
吹替:小松三夏
196年(建安元年)〜208年(建安13年)
[曹操]にとっては八男になる人物。
幼少の頃から学問好きで聡明であったため、将来を嘱望されていて、
[曹操]から溺愛されていたといいます。
しかし病気になってしまい、危篤状態になった[曹沖]を回復させるため、
[曹操]は医者のみならず、迷信を信じないはずの[曹操]も、
この時ばかりはと祈祷をさせて回復をはかったものの、13歳で早世してしまうのです。
[曹操]もこれには痛く悲しみます。
後に文帝となる[曹丕]も、兄[曹昂]が生きていても自分には敵わなかったかもしれないが、
[曹沖]が生きていたら、彼の才に自分は敵わなかっただろうと残しているほどだそうです。
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