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第四部「荊州争奪」第四十四集
時代背景:209年(建安14年)
[司馬懿]は、[曹操]が絶頂であった時には、仕えるべきではないと判断し、
『赤壁の戦い』で大敗した今だからこそ、仕える時だと、
これを堂々と[曹操]の前で言うほど。
[曹操]は[司馬懿]と共に《許昌》に向かうというのです。
そして[曹操]が[司馬懿]に与えた、最初の職務とは、
[曹沖]の後見人になるということ。
[曹操]は、自分の跡継ぎに知恵者が付くことを望んでおり、
これに[司馬懿]に託すのです。
一方、『赤壁の戦い』に引き続いて、[孫権]の軍が、
今[曹操]のいる《南郡》に迫っていると連絡が入り、
《許昌》へと急ごうとします。
そこで、[曹操]が、[荀ケ]によって知らされたのは、
《西涼》の[馬騰]らが決起し、《許昌》に攻めてきているとのこと。
これに急いで[曹操]は迎え撃つため、戻ろうとするのです。
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さらに[荀ケ]の見た手では、『馬騰・韓遂軍』はすでに間者を入り込ませており、
いつでも[曹操]の命を狙っているのだとか。
[荀ケ]はわざと、盛大に[曹操]の帰還を出迎えさせ、
間者をあぶりだそうとします。
息子である[曹丕]は、弟達だけにその真実を伝え、
[曹操]を出迎えようとします。
弟達は、[曹操]が偽の連絡で、来ない事を知っていると言う[曹丕]でしたが、
何故か、まだ幼い弟の[曹沖]は現れます。
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なかなか現れない[曹操]に、家臣達が今日は現れないであろうと、
そう思われている中、[曹操]に気に入られたいらしい[曹丕]は、
ただひたすら父の帰りを待つのです。
そして帰ってきた[曹操]。しかしそこに間者の姿が現れ、
馬車を襲撃するのですが、この馬車は偽物。
[曹操]はすでに別の門から入城しており、[曹沖]はこれを見抜いていたのです。
これによってますます[曹沖]は気に入られますが―。
このエピソードの注目点
“[司馬懿]に対する[曹操]の思惑”
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[司馬懿]は[曹操]に仕官するつもりだったものの、
結局彼が任されたのは、その知略を認めての幼い息子、[曹沖]への教育係としての職だけ。
これは[司馬懿]が抱いていた理想とは異なるものでした。
これはおそらく、[司馬懿]が[曹操]には警戒されており、
重宝されなかったことが由来であろうと思われます。
この辺り、[司馬懿]がこのころに仕官したということしか、
わかっていないそうですので、
[曹操]の後継者達の争いと絡めているようです。
注目の人物
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[曹丕 子桓]
吹替:前野智昭
187年(中平4年)〜226年6月29日(黄初7年5月17日)
魏王である[曹操]の嫡男であり、[卞氏]との息子にして、
『魏』の初代皇帝にまでなった人物。
このドラマではどことなく不遇な青年時代を送っており、
[曹操]は[曹沖]ばかりを気にかけているようにも見えます。
見たところ、兄としては頼りがいがありそうですが、
実は[曹沖]に、相当な嫉妬をしていたという話になっています。
[曹丕]自体は、この後、[曹操]に勝るとも劣らない人物となり、
彼の死後に『魏王朝』を開くことになるのでした。
それは同時に[劉備]達一派の『漢王朝』の再興を、皇帝を追放して、
歴史的政権交代をしてしまっているので、軒並み歴史小説での彼の扱いは悪いのですが、
このドラマでは、彼が[曹操]に不遇だった時代から皇帝になるまで、
割としっかりと描かれていきます。
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