三国志 Three Kingdoms 第44話 「曹操、華北に帰る」

三国志 Three Kingdoms 第43話 「司馬懿、出仕す」



「実は重要な職務の人選を考えていたが、それを任せたい。
丞相府の職務だ。
[曹沖]の師傅となり、勉学を教えて欲しい。
息子の中でも[沖]は一番、見込みがある。」

―[曹操 孟徳]


第四部「荊州争奪」第四十四集

時代背景:209年(建安14年)


[司馬懿]は、[曹操]が絶頂であった時には、仕えるべきではないと判断し、

『赤壁の戦い』で大敗した今だからこそ、仕える時だと、

これを堂々と[曹操]の前で言うほど。

[曹操]は[司馬懿]と共に《許昌》に向かうというのです。


そして[曹操]が[司馬懿]に与えた、最初の職務とは、

[曹沖]の後見人になるということ。

[曹操]は、自分の跡継ぎに知恵者が付くことを望んでおり、

これに[司馬懿]に託すのです。


一方、『赤壁の戦い』に引き続いて、[孫権]の軍が、

今[曹操]のいる《南郡》に迫っていると連絡が入り、

《許昌》へと急ごうとします。


そこで、[曹操]が、[荀ケ]によって知らされたのは、

《西涼》の[馬騰]らが決起し、《許昌》に攻めてきているとのこと。

これに急いで[曹操]は迎え撃つため、戻ろうとするのです。



さらに[荀ケ]の見た手では、『馬騰・韓遂軍』はすでに間者を入り込ませており、

いつでも[曹操]の命を狙っているのだとか。

[荀ケ]はわざと、盛大に[曹操]の帰還を出迎えさせ、

間者をあぶりだそうとします。


息子である[曹丕]は、弟達だけにその真実を伝え、

[曹操]を出迎えようとします。

弟達は、[曹操]が偽の連絡で、来ない事を知っていると言う[曹丕]でしたが、

何故か、まだ幼い弟の[曹沖]は現れます。



なかなか現れない[曹操]に、家臣達が今日は現れないであろうと、

そう思われている中、[曹操]に気に入られたいらしい[曹丕]は、

ただひたすら父の帰りを待つのです。


そして帰ってきた[曹操]。しかしそこに間者の姿が現れ、

馬車を襲撃するのですが、この馬車は偽物。

[曹操]はすでに別の門から入城しており、[曹沖]はこれを見抜いていたのです。

これによってますます[曹沖]は気に入られますが―。


このエピソードの注目点
“[司馬懿]に対する[曹操]の思惑”



[司馬懿]は[曹操]に仕官するつもりだったものの、

結局彼が任されたのは、その知略を認めての幼い息子、[曹沖]への教育係としての職だけ。

これは[司馬懿]が抱いていた理想とは異なるものでした。

これはおそらく、[司馬懿]が[曹操]には警戒されており、

重宝されなかったことが由来であろうと思われます。

この辺り、[司馬懿]がこのころに仕官したということしか、

わかっていないそうですので、

[曹操]の後継者達の争いと絡めているようです。


注目の人物



[曹丕 子桓]
吹替:前野智昭

187年(中平4年)〜226年6月29日(黄初7年5月17日)

魏王である[曹操]の嫡男であり、[卞氏]との息子にして、

『魏』の初代皇帝にまでなった人物。

このドラマではどことなく不遇な青年時代を送っており、

[曹操]は[曹沖]ばかりを気にかけているようにも見えます。

見たところ、兄としては頼りがいがありそうですが、

実は[曹沖]に、相当な嫉妬をしていたという話になっています。


[曹丕]自体は、この後、[曹操]に勝るとも劣らない人物となり、

彼の死後に『魏王朝』を開くことになるのでした。


それは同時に[劉備]達一派の『漢王朝』の再興を、皇帝を追放して、

歴史的政権交代をしてしまっているので、軒並み歴史小説での彼の扱いは悪いのですが、

このドラマでは、彼が[曹操]に不遇だった時代から皇帝になるまで、

割としっかりと描かれていきます。

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三国志 Three Kingdoms 第45話 「曹沖の死」
三国志 Three Kingdoms 第45話 「曹沖の死」

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