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第三部「赤壁大戦」第三十三集
時代背景:207年(建安12年)
一時は[劉備]についた軍師の[徐庶]の案内により、
彼は“臥竜”なる通称を持つ、[諸葛亮]を軍師として招く決意をしました。
今は隠居中でありながら、数多くの知名度を持つ[諸葛亮]に、
期待を抱く[劉備]。
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しかしながら、最初に[劉備]ら三兄弟が行った時は、
彼は旅行中ということでおらず。
漢室の地を受け継ぐ[劉備]が、わざわざ出向いていったのに留守と、
これは憤慨する[張飛]や[関羽]でしたが、
[劉備]は懲りるどころか、ますます[諸葛亮]に関心を抱くのでした。
雪降る季節、遣いを何度もやって、[諸葛亮]と出会いたい[劉備]は、
またしても三兄弟を伴って彼の家を訪れます。
しかしながら、今度会えたのは、彼の弟の、[諸葛均]。
諸葛一族は兄弟が多いので、
[劉備]らはまたしてもくれだましのようなものを受けてしまいます。
その間も、[諸葛亮]の友人という、世を捨てた者達から、
彼の高名さを知る[劉備]達。
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そして懲りなかった[劉備]は三回目の来訪をします。
今度ばかりは[諸葛亮]に出会えると確信してきた[劉備]。
ついに、[諸葛亮]のいるところに家にやってた三兄弟ですが、
今度は夜遅く帰ってきたので、眠っているという始末。
無理矢理起こさずに、失礼になるからと、しばらく眠らせておいたにも関わらず、
いい加減とばかりに、[張飛]が火をつけてしまったので、
やっと[諸葛亮]は眼を覚ますのでした。
こうして出会った[諸葛亮]と[劉備]達。
[諸葛亮]は、待っていたとばかりに[劉備]達の事をすでに知り尽くしており、
[劉備]と二人きりになると、すでに調べていたかのように、
彼のこれからの天下を語りだすのでした。
今、天下最大の勢力である[曹操]に真っ向から勝負を挑むのは無理があり、
《江東》の『孫氏』と同盟を結び、その間に、
《荊州》《西蜀》を領地とする。
この案を[諸葛亮]は述べるのでした。
このエピソードの注目点
「三顧の礼の礼儀」
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“三顧の礼”は有名な『三国志』の出来事であり、
[劉備]が[諸葛亮]を求めるために、三回も出向いたこと。
これを言います。
一人の将軍が、世捨て人同然の軍師を求めるために、
三回も出向くのは異例なものであり、
誇張も入っているのでしょうけれども、これは、
それだけ[劉備]が[諸葛亮]が期待し、また[諸葛亮]がそれだけの人物であったと、
持ち上げるためのものでもあるのでしょう。
そして実際、[諸葛亮]は期待通りの活躍を見せてくれるのです。
注目の人物
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[諸葛亮 孔明]
吹替:堀内賢雄
西暦181年(光和4年)〜234年(建興12年)
『三国志』で最も有名な人物の一つで、『蜀』の軍師、丞相になる人物です。
その知名度は、現在でも『蜀』の領地となった《成都》に武侯廟があり、
多くの観光客が訪れているというほど。
[劉備]と出会う前は、結婚こそしていたものの、誰かに仕えていたことなく、
[劉備]が初めての主君でした。
彼に対して『天下三分の計』を説いた後は、
『赤壁の戦い』や『劉備の入蜀』などでその活躍を見せ、
[劉備]の死後も、彼の子供くらいの世代であったため、
[劉備]の息子の[劉禅]を最後まで支え、“北伐”で『魏』の大決戦に挑むまでが、
『三国志』で有名です。
そういう事もあって、『三国志』を語る上でまず欠かすことが出来ない人物。
特に後半は主人公なので、歴史的にも重要な人物なのです。
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