三国志 Three Kingdoms 第33話 「三顧の礼」


三国志 Three Kingdoms 第32話 「徐庶、諸葛亮を薦む」



「今や[曹操]の兵は100万。天子を挟んで諸侯に命令しています。
矛先を争うことはできません。
一方孫氏兄弟は、《江東》を治めること三代。民は富みて、兵は勇猛。
同盟を組むべきで、攻めてはなりません。

そして《荊州》9郡は、四方に通じ、民は豊か。
《荊州》の主はいずれ変わります。
この地こそ、天が将軍に授けた地です。」

―[諸葛亮 孔明]



第三部「赤壁大戦」第三十三集

時代背景:207年(建安12年)


一時は[劉備]についた軍師の[徐庶]の案内により、

彼は“臥竜”なる通称を持つ、[諸葛亮]を軍師として招く決意をしました。

今は隠居中でありながら、数多くの知名度を持つ[諸葛亮]に、

期待を抱く[劉備]。




しかしながら、最初に[劉備]ら三兄弟が行った時は、

彼は旅行中ということでおらず。

漢室の地を受け継ぐ[劉備]が、わざわざ出向いていったのに留守と、

これは憤慨する[張飛]や[関羽]でしたが、

[劉備]は懲りるどころか、ますます[諸葛亮]に関心を抱くのでした。


雪降る季節、遣いを何度もやって、[諸葛亮]と出会いたい[劉備]は、

またしても三兄弟を伴って彼の家を訪れます。

しかしながら、今度会えたのは、彼の弟の、[諸葛均]。

諸葛一族は兄弟が多いので、

[劉備]らはまたしてもくれだましのようなものを受けてしまいます。


その間も、[諸葛亮]の友人という、世を捨てた者達から、

彼の高名さを知る[劉備]達。




そして懲りなかった[劉備]は三回目の来訪をします。

今度ばかりは[諸葛亮]に出会えると確信してきた[劉備]。

ついに、[諸葛亮]のいるところに家にやってた三兄弟ですが、

今度は夜遅く帰ってきたので、眠っているという始末。


無理矢理起こさずに、失礼になるからと、しばらく眠らせておいたにも関わらず、

いい加減とばかりに、[張飛]が火をつけてしまったので、

やっと[諸葛亮]は眼を覚ますのでした。


こうして出会った[諸葛亮]と[劉備]達。

[諸葛亮]は、待っていたとばかりに[劉備]達の事をすでに知り尽くしており、

[劉備]と二人きりになると、すでに調べていたかのように、

彼のこれからの天下を語りだすのでした。


今、天下最大の勢力である[曹操]に真っ向から勝負を挑むのは無理があり、

《江東》の『孫氏』と同盟を結び、その間に、

《荊州》《西蜀》を領地とする。

この案を[諸葛亮]は述べるのでした。




このエピソードの注目点
「三顧の礼の礼儀」



“三顧の礼”は有名な『三国志』の出来事であり、

[劉備]が[諸葛亮]を求めるために、三回も出向いたこと。

これを言います。

一人の将軍が、世捨て人同然の軍師を求めるために、

三回も出向くのは異例なものであり、

誇張も入っているのでしょうけれども、これは、

それだけ[劉備]が[諸葛亮]が期待し、また[諸葛亮]がそれだけの人物であったと、

持ち上げるためのものでもあるのでしょう。

そして実際、[諸葛亮]は期待通りの活躍を見せてくれるのです。


注目の人物



[諸葛亮 孔明]
吹替:堀内賢雄

西暦181年(光和4年)〜234年(建興12年)

『三国志』で最も有名な人物の一つで、『蜀』の軍師、丞相になる人物です。

その知名度は、現在でも『蜀』の領地となった《成都》に武侯廟があり、

多くの観光客が訪れているというほど。


[劉備]と出会う前は、結婚こそしていたものの、誰かに仕えていたことなく、

[劉備]が初めての主君でした。

彼に対して『天下三分の計』を説いた後は、

『赤壁の戦い』や『劉備の入蜀』などでその活躍を見せ、

[劉備]の死後も、彼の子供くらいの世代であったため、

[劉備]の息子の[劉禅]を最後まで支え、“北伐”で『魏』の大決戦に挑むまでが、

『三国志』で有名です。


そういう事もあって、『三国志』を語る上でまず欠かすことが出来ない人物。

特に後半は主人公なので、歴史的にも重要な人物なのです。

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三国志 Three Kingdoms 第34話 「孫策、狐を託す」
三国志 Three Kingdoms 第34話 「孫策、狐を託す」

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