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三国志 Three Kingdoms 第32話 「徐庶、諸葛亮を薦む」


三国志 Three Kingdoms 第31話 「的盧、壇渓を飛ぶ」



「あの布陣は、“八門金鎖の陣”。
八門とは、 休、生、傷、社、景、死、驚、開です。
孫子の古い陣形で、歴代の兵家が改良しています。
将軍の台座は“龍眼”といい、後付けのものです。
ただ、[曹仁]は形を知るだけで、深く理解していません。」

―[徐庶 元直]




第ニ部「中原逐鹿」第三十集

時代背景:207年(建安12年)『新野の戦い』


[曹操]は、いよいよ[劉備]を攻めるために《新野》を攻める事にします。

[曹仁]と[李典]は《新野》を攻めるために、

“八門金鎖の陣”を使って鉄壁の守りを展開します。


しかしここは、軍師の[徐庶]が案を出し、

この陣を破る方法をとろうとします。

無闇やたらにこの陣に攻める事は危険であり、

八つの門を順番にくぐり抜ければ、それを崩すことができるというのです。



これに推薦されたのは[趙雲]で、

陣の真髄を知らない[曹仁]ならば、打ち破れるというのです。


激しい激闘が行われる中、[趙雲]は、[徐庶]の命令通りに、

この陣を打ち破り、ついに“八門金鎖の陣”を打ち崩し、

[曹仁]を追い詰めるに至りました。

追い詰められた[曹仁]は撤退。

これで諦めることができない彼は、その夜の直後に攻めようとするのです。


しかしこの夜襲も読んでいた[徐庶]は、逆に奇襲を仕掛け返し、

《樊城》まで[関羽]に取られたことで、大敗をきすることになったのでした。


敗退した[李典]は、[徐庶]が[劉備]についた事を報告。

これを危惧した[曹操]。軍師の[荀ケ]は、

[徐庶]宛てに、彼の母を人質に取ったとの書簡を送り、

これに動揺した[徐庶]は、《許都》に帰ろうとするのです。




[徐庶]はその別れ際、自分よりも更に優れた人物がいる事を[劉備]に伝え、

その名を[諸葛亮]“臥竜”というとのこと。


そして[徐庶]は、[曹操]の元にやってくるのですが、

母が囚われているというのは確かでしたが、厚遇されており、

全て軍師の罠であり―、


そしてそれが判明し、[徐庶]が落胆したシーンで、第二部は終わります―。




このエピソードの注目点
「八門金鎖の陣とそれを破る手段」



このエピソードで描かれるのは『新野の戦い』。

この地を任されていた[劉備]を徹底的に攻めるために、

[曹仁]が敷いたのは“八門金鎖の陣”。

今までの[劉備]だったら、これを無理に破ろうとしても打ち破られてしまっていた。

ということでしょう。

しかし[徐庶]は、兵法に通じており、これを内側から打ち破るのでした。

[劉備]についに軍師がついた。となったものの、

この[徐庶]との縁は引き裂かれてしまいますが、

彼はついに、[諸葛亮]と出会うきっかけを作るのです。


注目の人物



[曹仁 子考]
吹替:手塚秀彰

168年(建寧元年)〜223年(黄初4年)


[曹操]と同じく“曹氏”であり、従弟に当たる人物。

このドラマではあたかも[曹操]の弟のようですが、

血縁関係のない従弟になります。

この戦いでは敗戦、また血気盛んな性格で、

[曹操]にいつも諌められているシーンがあります。

しかしながら、『南郡の戦い』『樊城の戦い』などでも守備を任される事になり、

これらの戦いで、長丁場になりながらも持ちこたえ、

結果的に『曹魏』の領土を守る、という大切な働きをしています。


彼の活躍は、『新野の戦い』に終わらず、

最終的に、大将軍・大司馬になっていることからも、

これからの活躍こそ期待できる将軍です。

その活躍は、[張遼]以上のものであるという人もいるのですが、

それも誇張では無いと言えます。

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