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第三部「赤壁大戦」第三十四集
時代背景:200年(建安5年)・208年(建安13年)
[諸葛亮]と念願の対面を果たした[劉備]。
彼は[諸葛亮]から息を呑むような天下の道筋を説かれ、
感心をすることになります。
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実は[諸葛亮]が留守にしていたというのも、
《西蜀》の動向を探るためのものであり、
[劉備]にまずは《荊州》《西蜀》を治めるように言い、
[諸葛亮]は、[劉備]の臣下につく決意をするのでした。
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一方、その8年前、《江東》では、この地を治めており、
祖先の地を取り返したという[孫策]が、力をつけていたものの、
彼が狩りに出ていた時に暗殺未遂に遭ってしまうのです。
彼は、まだ赤子である自分の息子ではなく、
弟であり、明才な[孫権]に自分の後継を託して死去します。
有力者達は、[孫策]の息子を後継者として、傀儡として操ろうと考えますが、
[孫紹]によって、そうすることによって《江東》が乱れる事を危惧した、
[孫策]の妻である[大喬]は、自分が罪を背負う事はせず、
幼い息子と共にどこかへと去って行ってしまうのです。
こうして《江東》の後継者は[孫権]として、
まだ若い彼が引っ張っていくことになるのでした。
一方、208年にまで時代は戻り、[劉備]の元に主従した[諸葛亮]でしたが、
[関羽]と[張飛]は彼の事を、武勇もない、ただの隠者として、
全く信用していないのでした。
このエピソードの注目点
「《江東》での後継者」
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[孫策]は小覇王と言われるほどの人物で、
《江東》を制覇できるほどの人物でしたが、
『三国志』の世界に大きな影響を及ぼすことはできず、若くして死去してしまいます。
そして後を継いだのだ、まだ19歳という[孫権]。
これが結果的に《江東》で正しかったのは、[孫権]が立派になったからで、
無理をしてまだ幼い息子ではなく、弟に託したというのが、
《江東》の、『孫呉』の序章となったわけです。
注目の人物
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[大喬]
吹替:三石琴乃
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『呉』の初代皇帝[孫権]の兄、[孫策]の妻になります。
[孫策]と[周瑜]は、義兄弟で、共に『喬家』という家の姉妹たちに一目惚れし、
それぞれ[孫策]が[大喬]を。[周瑜]が[小喬]を娶ります。
それが二喬姉妹と呼ばれる者達であり、
その美しさは花も恥じらうと言われるほどだったのだとか。
本名は伝わっておらず、[二喬姉妹]の姉だから[大喬]と呼ばれています。
実際のところ、[孫策]との夫婦生活は短い期間だけだったらしく、
彼が逝去してしまったため、[大喬]も若くして未亡人となってしまいます。
その後、彼女がどうなったのかまでは伝わっていません。
この物語では、後継者争いを避け、世捨て人の道を歩んでしまったようで―。
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