○来歴
「孫堅」の遺志を継ぎ、『孫呉』の国の立役者となった、孫家の長男になります。
「孫堅」は若くして戦死してしまったため、
「孫策」率いる孫呉の人々は、『袁術軍』の配下になりました。
しかしながら、独立を夢見ていた「孫策」は、
「劉ヨウ」を倒してその勢力を拡大、
更には「袁術」から独立をしていくのです。
●[袁術]からの独立
元は主人であった「袁術」に対して、「孫堅」の軍1000人あまりの兵を得て、
『袁術軍』の中で頭角をなした彼には、優秀な人材が多くいて、
「劉ヨウ」を倒す頃には5000人あまりに膨れ上がっていました。
『孫呉』の地は、<長江>周辺なのですが、彼はこの辺を収めていき、
『孫呉』の地盤を築いていくのです。
そしてついには、「袁術」からも独立をするのです。
●その最期
しかしその最期は唐突にやってくるのでした。
西暦200年、「曹操」と「袁紹」の間で『官渡の戦い』が起きますが、
「曹操」の本拠地である<許都>の攻略を図り、
その時、「許貢」の残党により<長江>のほとりで襲撃されて重傷を負い、
この傷が原因で死去してしまうのでした。
そして彼は、『孫呉』の後継者として、弟である「孫権」を指名するのです。
●後世の評価
後世の評価では、「孫策」は確かに勇猛盛んな武将ではありましたが、
軽はずみ、せっかちであったと言われており、
確かにそうしたところが彼の行なったことにも現れています。
しかし、『孫呉』の武勇を誇り、後の『呉』の基盤を立派に作り上げるのです。
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