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孫策 伯符


名:孫策(そんさく)
字:伯符(はくふ)
-Sun Ce-

諡号:長沙桓王
三国志演義通称:小覇王

所属:袁術軍→孫策軍(独立勢力)
出生:呉郡富春県
生年:喜平4年(175年)
没年:建安5年(200年)
(享年25歳)


-伝-
『三国志 呉書』
巻46『孫破虜討逆傳』[孫策]伝


-血縁関係-

父:[孫堅]
母:[呉夫人]

弟:[孫権][孫匡]
義弟:[孫朗]

『真・三國無双』
CV:河内考博
二つ名は「快活なる炎」
格好いい好青年といった印象。
顎髭も生やしていて、ワイルドさに磨きがかかっています。
戦いは、カンフー映画ではありますが、板についていますね。

熱くなりすぎるところもありますが、
お妃様の大喬にはとても優しくぞっこんのようです。

『三国志大戦』

孫策というと、やはり若き武将としての姿。
しかしこちらは何だかとてもワイルドな印象ですね。
 格好いいイメージをよく持たれる人です。


ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

吹替:阪口周平
登場当初から、若き武将として登場。
「孫堅」の息子として活躍しますが、
弟の「孫権」の方が期待されているという描写が
結構ありますね。



○来歴

「孫堅」の遺志を継ぎ、『孫呉』の国の立役者となった、孫家の長男になります。

「孫堅」は若くして戦死してしまったため、

「孫策」率いる孫呉の人々は、『袁術軍』の配下になりました。


しかしながら、独立を夢見ていた「孫策」は、

「劉ヨウ」を倒してその勢力を拡大、

更には「袁術」から独立をしていくのです。


●[袁術]からの独立

元は主人であった「袁術」に対して、「孫堅」の軍1000人あまりの兵を得て、

『袁術軍』の中で頭角をなした彼には、優秀な人材が多くいて、

「劉ヨウ」を倒す頃には5000人あまりに膨れ上がっていました。


『孫呉』の地は、<長江>周辺なのですが、彼はこの辺を収めていき、

『孫呉』の地盤を築いていくのです。

そしてついには、「袁術」からも独立をするのです。


●その最期

しかしその最期は唐突にやってくるのでした。

西暦200年、「曹操」と「袁紹」の間で『官渡の戦い』が起きますが、

「曹操」の本拠地である<許都>の攻略を図り、

その時、「許貢」の残党により<長江>のほとりで襲撃されて重傷を負い、

この傷が原因で死去してしまうのでした。

そして彼は、『孫呉』の後継者として、弟である「孫権」を指名するのです。


●後世の評価

後世の評価では、「孫策」は確かに勇猛盛んな武将ではありましたが、

軽はずみ、せっかちであったと言われており、

確かにそうしたところが彼の行なったことにも現れています。

しかし、『孫呉』の武勇を誇り、後の『呉』の基盤を立派に作り上げるのです。

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孫尚香
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