三国志 Three Kingdoms 第31話 「的盧、壇渓を飛ぶ」


三国志 Three Kingdoms 第30話 「曹操、河北を平らぐ」



「[関羽][張飛][趙雲]は万夫不当の武将ですが、
[孫乾][簡雍][糜芳]らには国を治め、民を救う才はない。
つまり将軍には片翼しかないのです。
将軍に欠けているのは、天下を俯瞰でき、胸に戦略を抱く軍師です。」

―[司馬徽 徳操]




第ニ部「中原逐鹿」第三十一集

時代背景:207年(建安12年)


[劉備]は、《荊州・襄陽》における[劉表]の後継者争いに巻き込まれ、

彼が《荊州》を狙っていると仕立てあげられ、

有力者[蔡瑁][蔡氏]らに命を狙われる事になるのでした。




しかし一旦は、[劉表]の長男である[劉g]の助けによって、

命を救われることとなった[劉備]。

もはや、[蔡瑁]らが[劉備]を《荊州》乗っ取りの首謀者として、

抹殺をしたいのは明らかなのです。


しばらくして、[劉表]の領地で催事が行われる事になりました。

肝心の[劉表]は、[蔡氏]の陰謀により、病に伏せることになり、

催事に出席をすれば、[劉備]の命が狙われるのは明らか。

しかしこれに隠すことはなにもないと、

[劉備]は[趙雲]の部隊だけを率いていくのでした。




そして催事の日、表向きは平和に済まされていたものの、

[劉表]が欠席している今、[蔡瑁]らは[劉備]を始末すべく動きます。


それを嗅ぎつけた[劉備]は、馬にのって逃走。

河を渡り、死地を脱して、再び仲間たちが待つ《新野》へと向かいます。


そして[劉備]は帰還する時、[水鏡先生]こと、[司馬徽]と出会います。

[劉備]の高名はこの地まで届いており、

先生によれば、[劉備]には優れた武将はいるものの、

知識を与える者がいないという事を指摘する彼。

[曹操]に勝つためには、“臥竜”と“鳳雛”という、

知識人が必要であるというのです。


そして[劉備]の前に現れたのは、[徐庶]という人物。

彼の博識ぶりに、彼こそが“臥竜”か“鳳雛”であると思うのですが、

彼は[徐庶]と言い、[諸葛亮]とは別人だったのです。

しかし彼の才能を認めた[劉備]は、彼を軍師として招くのでした。




このエピソードの注目点
「《荊州・襄陽》を狙った陰謀の数々」



実際は『曹操軍』がせめてくれば、たとえ[蔡瑁]らが支配していても、

敗北するのは明らかで、家督争いをしている場合ではない、のですが。

時勢を読めず、[曹操]の恐ろしさを知らない彼らは、

自分たちがその地を支配する事しか考えていないようです。



注目の人物



[徐庶 元直]
吹替:郷田ほづみ

西暦?年〜?年


(水鏡先生)こと[司馬徽]の門下生であり、かの[諸葛亮]と、

同門の出身の人物です。そして[諸葛亮]とも知り合いであることが知られています。


突然、[劉備]の元へと現れた彼は、

ちょうど《新野》の地を攻められていた彼に、“八門金鎖の陣”を破る方法を教え、

また、[曹仁][李典]の報復の戦いをも打ち破ったとされています。

[劉備]としては手放したくない軍師であったにも関わらず、

『曹操軍』の軍師、[程c]の策で、母親を人質に取られたとして、

やむなく彼だけが降伏。去り際に[諸葛亮]の存在を教えていくのでした。


実は、[曹操]に降伏した後も結構長生きをしており、

彼の孫の[曹叡]まで仕えているのだとか。


軍師としての印象が強い[徐庶]ですが、かつては撃剣の使い手であり、

友人の敵討をしようとしたという話もあります。


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三国志 Three Kingdoms 第32話 「徐庶、諸葛亮を薦む」
三国志 Three Kingdoms 第32話 「徐庶、諸葛亮を薦む」

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