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西暦265年 『魏の滅亡、晋の成立』

↑前の時代西暦263年 『蜀の滅亡』



「『魏』の3代目皇帝[曹芳]即位」
 西暦239年

『五丈原の戦い』から5年後、
[曹丕]の息子にして、『魏』の2代目の皇帝[曹叡]が病で死去。
彼は、[司馬懿]と[曹爽]に後を託しました。

後を継いだ皇帝[曹芳]は[曹叡]の養子で、
まだ若干8歳の[曹芳]でした。




「[司馬懿]の策略]

[曹爽]は、[司馬懿]を名誉職に追いやり、自分が実権を握りました。
一方で[司馬懿]は、病と称して引きこもって、
二人の息子[司馬師]、[司馬昭]も隠居してしまいました。
しかし彼らは一芝居を打って、[曹爽]の油断を誘ったのです。




「『正始の変』」
西暦249年

[曹爽]の留守をついて、[司馬懿]は息子と部下を率いて、
宮中へと押し寄せました。

そして皇帝に上訴をして、[曹爽]の権力を剥奪し、処分したのです。
[司馬懿]は丞相に任じられて『魏』の実権を握りました。


「[司馬懿]の長男、[司馬師]
その暗殺未遂事件」
西暦251年

その2年後、[司馬懿]は世を去りますが、
その長男[司馬師]は大将軍に、次男[司馬昭]も上将軍に任じられ、
司馬一族による『魏』の実権は続きました。

やがて皇帝、[曹芳]は、司馬一族の専横を恐れて、討滅を謀ります。


「『魏』の四代皇帝、[曹髦]」

この陰謀は露見して、[曹芳]は廃位させられました。
そして[曹丕]の孫である、[曹髦]が新たな皇帝にされます。

こうした司馬一族の専横には反乱が起こり、
[司馬師]はその鎮圧にあたるも、病で陣没をしてしまいます。


「[司馬懿]の次男、[司馬昭」]
西暦255年

[司馬師]の死去の後、その大将軍を継いだのは、弟の[司馬昭]でした。
[諸葛亮]と同じ諸葛一族の[諸葛誕]は反旗を翻しましたが、
[司馬昭]は大軍を用いてこれを打ち破りました。

そしてその反乱の火種は、宮中にも広がってしまうのです。


「[曹髦]の暗殺事件」
 西暦260年

[司馬昭]の専横に耐えかねた、皇帝[曹髦]は挙兵するものの、
[司馬昭]の側近である、[賈充]により暗殺され、
その濡れ衣は別の人物とさせられてしまいます。

[司馬昭]は、[曹奐]を『魏』の五代皇帝とし、
自らは丞相、晋公となりました。


「『蜀』の討伐と滅亡」
西暦263年

政権が落ち着いた頃、[司馬昭]は本格的に『蜀』の討伐に乗り出します。
『魏』の将軍、[鍾会]が《漢中》を落とし、
さらに[ケ艾]が《成都》に迫ると、
皇帝[劉禅]は早々に降参し、『蜀』は滅亡しました。


「晋王の誕生と、[司馬炎]」
 
『蜀』を平定したことによって[司馬昭]は、晋王となりました。
しかしその[司馬昭]は病に倒れ、
長男、[司馬炎]を指名して死去します。
晋王を継いだ[司馬炎]は、人臣を集めて、
更に時代を推し進めます。


「『魏』の滅亡と、『晋』の建国」
西暦265年

[司馬炎]は、すでに傀儡であった皇帝、[曹奐]に禅譲を迫り、
ついに帝位につきました。

ここに『魏』の王朝は『晋』の王朝に取って代わられるのです。
この時、『魏』が『後漢』から禅譲を受け、45年が経っていました。


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西暦280年 『呉の滅亡、晋による三国統一』
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