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西暦280年 『呉の滅亡、晋による三国統一』

↑前の時代西暦265年 『魏の滅亡、晋の成立』



「[孫権]の後継者」
 西暦241年頃

三国時代で最も長く続いた『呉国』ですが、
[孫権]の後継者をめぐって一族の混乱が始まります。

[孫権]の長子である[孫登]が死去し、
次子の[孫和]は大子にはなりましたが、廃位させられてしまいました。




「『呉国』二代皇帝[孫亮]」
西暦252年

西暦252年[孫権]は死去。
そして帝位を継いだのは末子の[孫亮]でした。

しかし幼い[孫亮]は、[諸葛瑾]の子である[諸葛恪]に後見されます。
[諸葛恪]は才能あふれていましたが、
そのために父からは身を案じられていました。


「[孫峻]の台頭」
西暦253年

やがて[諸葛恪]は文武にわたった大権を握るようになります。
そして、軍権を争っていた、[孫峻]に上意討ちをされてしまいます。
[孫家]に連なっている[孫峻]は、
[孫亮]の補佐役に収まり、その実権を握りました。


「『呉国』三代皇帝[孫休]」
 
[孫峻]が病没すると、同族の[孫チン]が[孫亮]を補佐しました。
[孫亮]は、勝手な振る舞いをする[孫チン]を除こうとしますが、
それは事前に漏れてしまい、
廃位をさせられる事になります。

そして[孫権]の六男である[孫休]が帝位を継ぎました。


「[孫チン]、[孫休]に誅される」
西暦258年

[孫チン]は、[孫休]を天子に立てたことによって、
さらに威勢を奮って専横を募らせていきます。
耐えかねた[孫休]は、[孫チン]に反意があるとして、
酒宴に招いたところを捕らえ、処刑するのでした。


「[孫休]、病に倒れる」
西暦265年

内憂が続く『呉』に、『蜀』が『魏』によって滅ぼされたと報告が入り、
[孫休]は『魏』の脅威に備えました。
更に、[司馬炎]が新たに『晋』を建国したとの知らせが入ります。
[孫休]は憂慮のあまり、病に倒れてしまいました。


「『呉国』四代皇帝[孫皓]」
 
[孫休]は病没して、代わって天子に立てられたのは、
[孫権]の次子での[孫和]の子の[孫皓]でした。
[孫皓]は才識があるとして推薦されたはずでしたが、
帝位についたとたんに暴虐ぶりを発揮していきます。


「衰退していく『呉』」
 
次第に[孫皓]に意見できる者はいなくなり、
『呉』の人臣も次々に離れていきました。
[陸遜]の子である名将[陸抗]が、防衛戦を支えてはいたものの、
腐敗する朝廷には彼も意見できませんでした。


「『晋』による『呉』討伐」
 西暦279年

一方『晋』では、[孫皓]の暴虐ぶりが聞き届いており、
対『呉』討伐の機会が狙われていました。

[司馬炎]は、[杜預]を大都督に任命して、
南征軍を興します。
『晋軍』は水陸両面から押し寄せて、《建業》の都に迫りました。



「『三国時代』の終わり」
 西暦280年

『晋軍』の圧倒的な威勢の前に、
『呉軍』は戦わずして降っていく者達が多く、
ついに[孫皓]も、かつての[劉禅]のように降伏しました。
西暦280年、『呉』は滅び、天下は『晋』のもとに統一されました。

こうして、『三国時代』は幕を閉じたのです。



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