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凌統 公績


名:凌統(りょうとう)
字:公績(こうせき)
-Ling Tong-

所属:孫権軍→呉国
出生:呉郡余杭(現:浙江省杭州市余杭区)
生年:189年(中平6年、光熹元年、
昭寧元年、永漢元年)
没年:217年(建安22年)(諸説あり)
他228年、237年など
享年29歳?


-伝-
『三国志』『呉書』
巻55『程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁傳』[凌統]傳


-血縁関係-

『真・三國無双』

CV:松野太紀
無双における二つ名は、“憎めない皮肉屋”。
『呉』の若き武将として登場する彼は、
最初は父の仇である「甘寧」に敵対心を抱くものの、
だんだんと戦友となっていく姿が描かれます。
『三国志大戦』

若き『呉』の勇将としての姿が「凌統」の描かれ方。
若く武勇もあって、
格好いいという印象があるようですね。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

彼の活躍は限られているせいか、
このドラマでは「甘寧」は登場しますが、
「凌統」は名前ばかりの登場です。



「凌統」の出生は、「孫策」「孫権」に仕えた、「凌操」であり、

父が《夏口》の戦いで戦死してしまうと、その跡を15歳で継ぎ、

「孫権」から“別部司馬・行破賊都尉”に任命されます。


その後、《夏口》などを中心にして戦いで活躍、

『赤壁の戦い』に従軍し、直後の「周瑜」による《荊州南郡》の戦いにも参加をし、

この頃から、父の仇である「甘寧」と行動を共にしています。


彼が危機的状況に陥ったのは、

215年、対『曹操軍』の『合肥の戦い』で、

この時、「張遼」の奇襲で絶体絶命に陥ってしまった主君である「孫権」を救出。

「孫権」救出後は再び戦場に戻り、

数十人の敵を討ち取るものの、自分は傷だらけで瀕死の状態。

退路の橋も落とされていたため、川に潜って帰還するという、

九死に一生を得るのでした。


その後の「凌統」の活躍はよく知られていません。

勇将であったにもかかわらず、『荊州攻略戦』『夷陵の戦い』に参加していないため、

『唐』の時代に描かれた、217年に若くして死去したという説が有力です。

49歳まで生きたという話もあります。


「凌統」というと「甘寧」との因縁が有名で、

ある宴席で剣を取り、「甘寧」も戟で対抗しようとしたものの、

「呂蒙」がそこに割り入ってそれを抑え、

ふたりはだんだんと戦友になっていったという話があります。

また、子供が二人をおり、「孫権」に我が子のように愛されていたのだとか。

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丁奉 承淵
丁奉 承淵