「凌統」の出生は、「孫策」「孫権」に仕えた、「凌操」であり、
父が《夏口》の戦いで戦死してしまうと、その跡を15歳で継ぎ、
「孫権」から“別部司馬・行破賊都尉”に任命されます。
その後、《夏口》などを中心にして戦いで活躍、
『赤壁の戦い』に従軍し、直後の「周瑜」による《荊州南郡》の戦いにも参加をし、
この頃から、父の仇である「甘寧」と行動を共にしています。
彼が危機的状況に陥ったのは、
215年、対『曹操軍』の『合肥の戦い』で、
この時、「張遼」の奇襲で絶体絶命に陥ってしまった主君である「孫権」を救出。
「孫権」救出後は再び戦場に戻り、
数十人の敵を討ち取るものの、自分は傷だらけで瀕死の状態。
退路の橋も落とされていたため、川に潜って帰還するという、
九死に一生を得るのでした。
その後の「凌統」の活躍はよく知られていません。
勇将であったにもかかわらず、『荊州攻略戦』『夷陵の戦い』に参加していないため、
『唐』の時代に描かれた、217年に若くして死去したという説が有力です。
49歳まで生きたという話もあります。
「凌統」というと「甘寧」との因縁が有名で、
ある宴席で剣を取り、「甘寧」も戟で対抗しようとしたものの、
「呂蒙」がそこに割り入ってそれを抑え、
ふたりはだんだんと戦友になっていったという話があります。
また、子供が二人をおり、「孫権」に我が子のように愛されていたのだとか。
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