周泰 幼平


名:周泰(しゅうたい)
字:幼平(ようへい)
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所属:水賊?→孫策軍→孫権軍→呉国
出生:九江郡下蔡
生没年不明
没年:(222年〜229年)


-伝-
-伝-
『三国志』『呉書』
巻55『程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁傳』[周泰]傳


-血縁関係-

『真・三國無双』

CV:石川英朗
無双における二つ名は、“静かなる刃”。
元は水賊であったという設定で、『呉』の「孫権」に仕えます。
寡黙で刀を使う姿は、あたかも侍のようで、
恐ろしいというよりもむしろ心強いです。
『三国志大戦』

傷だらけの水賊、そして武勇にあふれる姿が、
「周泰」の描かれ方の基本となっているようで、
非常に勇ましく血気盛んな様子です。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

吹替:大羽武士

優秀盛んな武将といった印象で描かれています。
基本[周瑜]らの部下役として登場しますが、
『赤壁の戦い』前後から交戦派として登場し、
基本、名前が出てくる程度ですね。



「孫策」に仕えて側近となった武将として知られ、

兄よりもむしろ弟の「孫権」に対し身を挺して『山越』からかばった武勇が知られ、

弟の「孫権」から重用されていた武将です。

彼は全身に12箇所もの傷を負いながら、身を挺して、

『山越』からかばい、これは「孫策」からも感謝されました。


「孫権」の時代、『赤壁の戦い』において、「周瑜」などに従い、

「曹操」と対峙、「曹仁」などの攻撃も防ぐなどの活躍を見せます。

そうした功績から、《濡須》の督に命じられた彼でしたが、

「徐盛」「朱然」といった武将達は「周泰」の指示には従わず、

しかし「孫権」は宴の席で、「周泰」の服を脱がせ、

自分を守るために身を挺した傷の由来を一つ一つ説明し、

これを涙ながらに語ったのだそうです。

これから、「朱然」らは「周泰」に従うようになったのだとか。


やがて「劉備」との対立が深まる「孫権」ですが、

「周泰」は“漢中太守”に任命されます。

その後、黄武の年号(222年〜229年)頃になくなったのだとか。


子は「周邵」や「周承」などがいます。


小説『三国志演義』では、水賊であったという話がありますが、

こちらは定かではないようです。

しかし後の創作の物語では、元海賊として描かれることが多いようですね。

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凌統 公績
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