丁奉 承淵


名:丁奉(ていほう)
字:承淵(しょうえん)
-Ding Feng-

所属:孫権軍→呉国
出生:揚州廬江郡安豊県(安徽省合肥市)
生年:不明
没年:271年(建衡3年)
享年:不明


-伝-
-伝-
『三国志』『呉書』
巻55『程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁傳』[丁奉]傳


-血縁関係-
弟:[丁封]
子:[丁温]
『真・三國無双』

CV:中尾良平
二つ名は、「孫呉一のこわもて」
三国時代でも後半で活躍する武将であるため、
6までは登場しなかった新参の武将。
あまりにもたくましい体格であり、恐ろしげな顔をしていますが、
自然を愛する風流人。
終盤、『呉』の国で活躍するのは彼くらいになってしまいます。
歴史的にも、他に[陸遜]の子の[陸抗]がいるくらいで、
これは本当のことです。
『三国志大戦』

『呉』の物語後半の猛将として登場。
世代は下とはいえ、なかなかの威厳がありそうです。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

『呉』も後半で活躍する人のため、
こちらのドラマでは登場しません。



『三国志』ではあまり活躍が見られませんが、

「孫権」の時代から仕え、若き頃から各地で小部隊を率い、

「甘寧」「陸遜」の指揮下で働きました。

“偏将軍”にまで昇進しています。


「孫権」の死の直後、

『呉』の皇帝が「孫亮」になった時代、

252年に『東興の戦い』が起こります。『魏』の「諸葛誕」らが率いる7万の軍を、

「諸葛恪」の指揮下で迎え撃ち、『魏軍』の酒宴の隙、さらに雪も交えて、

わずか3千の軍で追い返し、大いに武功をあげました。


255年『魏』の《寿春》において、『母丘倹・文欽の乱』が起こり、

『呉』への降伏を受け入れ、「文欽」を救援。


257年の『魏』の『諸葛誕の乱』にも『諸葛誕軍』の救援に向かい、

「丁奉」は突撃隊長となり、“左将軍”となりました。


以後、『蜀』が『魏』に降伏し、さらに『晋国』の成立後まで活躍しています。


『呉』は3代皇帝「孫休」、4代皇帝「孫皓」になっていきますが、

だんだんと「丁奉」は昇進していくにつれて、傲慢になっていったといい、

『呉』の最後の皇帝にして暴君であった「孫皓」とは、

最終的に不仲になり、「丁奉」は271年に死去していますが、

一族は追放されてしまいました。


『三国時代』でもかなりの後半に登場する人物であるため、

『三国志』『三国志演義』などでも名前くらいしか出てきませんが、

時代の後半に活躍した人物であることは確かなのです。

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練師(歩夫人)
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