| 
           
           
           
          
            
          
          
          西暦191年 『虎牢関の戦い』 
          
          
           
          
          
          ↑前の時代184年 『黄巾の乱』へ 
          
          
           
          
          
          
 
          
          
           
          
          
          「[董卓]の台頭」 
          
          
           
          
          
          『黄巾の乱』が平定された後、朝廷内では勢力争いが激化。 
          
          
          この混乱に乗じて台頭したのが、《西涼》の[董卓]でした。 
          
          
          [董卓]は軍事力を利用し、朝廷を手中に収め、 
          
          
          その専横を奮っていきました。 
          
          
           
          
          
          
 
          
          
           
          
          
          「[曹操]、檄文を飛ばす」 
          
          
           
          
          
          [董卓]の専横ぶりに、群雄たちは反応をつのらせ、 
          
          
          中でも[曹操]は[董卓]の暗殺を試みるも失敗。 
          
          
           
          
          
          命がけで逃避行をし、故郷へ戻った彼は、 
          
          
          逆賊[董卓]を討ち、漢室を取り戻すべく、 
          
          
          諸侯に檄文を飛ばし、挙兵を促しました。 
          
          
           
          
          
          
 
          
          
           
          
          
          「『反董卓連合軍』」 
          
          
          
          191年 
          
          
           
          
          
          [曹操]の檄文には、[袁紹][袁術][孫堅][馬騰]など、 
          
          
          各地の有力群雄が応じることとなりました。 
          
          
           
          
          
          [劉備]も義兄弟らを引き連れ、窮地であった[公孫サン]らとともに参加。 
          
          
          こうした[董卓]討伐の連合軍、『反董卓連合』結成されました。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          「群雄、《洛陽》に迫る」 
          
          
           
          
          
          191年の冬には、名家出身の[袁紹]を盟主として、 
          
          
          『反董卓連合軍』は、[董卓]のいる《洛陽》をめざして攻め上がります。 
          
          
           
          
          
          連合軍の先鋒は[孫堅]であり、 
          
          
          《洛陽》の東の防衛の拠点、《水関》に迫りました。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          『水関の戦い』 
          
          
          
            
          
          
          [董卓]は、《水関》の守将に[華雄]を送りました。 
          
          
          緒戦に勝利をしたのは『孫堅軍』でしたが、 
          
          
          [袁術]が兵糧の補給を怠ったため、混乱が生じ、 
          
          
          [華雄]は『孫堅軍』を返り討ちにしようとします。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          「[関羽]、[華雄]を斬る」 
          
          
           
          
          
          勢いに乗った[華雄]は、連合軍の本陣に迫ります。 
          
          
          連合軍の将たちが次々と破れていく中、 
          
          
          [劉備]の義弟、[関羽]が名乗りを上げました。 
          
          
          陣幕を出てわずかな時間で、[関羽]は[華雄]を討ち取ります。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          「猛将[呂布]と[劉備]義兄弟の対決」 
          
          
           
          
          
          [董卓]は、[華雄]が討ち取られた連絡を受け、 
          
          
          要害の地である《虎牢関》に立てこもりました。 
          
          
          そしてその関の前には[呂布]が立ちはだかります。 
          
          
           
          
          
          三国志最強とも言われる彼の武勇の前には、 
          
          
          『連合軍』は歯がたちません。 
          
          
          [公孫サン]が討たれようとしていたとき、 
          
          
          [張飛]が躍り出ます。 
          
          
           
          
          
          [張飛]は善戦したものの、[呂布]を破ることはできず。 
          
          
          義兄弟[関羽]も加勢するものの、[呂布]はこれに対して互角。 
          
          
           
          
          
          ついには[劉備]が加勢すると、 
          
          
          [呂布]も分が悪いと思い、隙を見て敗走します。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          「[董卓]の《長安》遷都」 
          
          
           
          
          
          [呂布]の敗走に形勢が不利である事を悟った[董卓]は、 
          
          
          直ちに軍勢を率いて、《洛陽》へと帰還します。 
          
          
          そして《長安》への遷都を強引に推し進め、 
          
          
          《洛陽》の都には火をかけ、帝を保護し、民を引き連れて、 
          
          
          《長安》へと逃れました。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          「群雄割拠の時代、再び」 
          
          
           
          
          
          『反董卓連合軍』は[董卓]の撤退という形で勝利を収めます。 
          
          
          この後に連合軍は《洛陽》に入りますが、 
          
          
          そこはすでにもぬけの殻でした。 
          
          
          群雄たちは各々自国に戻っていき、再び群雄割拠の時代は続きます。 
          
          
           
          
          
           
          
          
          ↓次の時代へ 
          
          
          
           
          
          
           
          
          
          
           
          
          
            
          
          
           
           
          
           
         |