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西暦191年 『虎牢関の戦い』
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「[董卓]の台頭」
『黄巾の乱』が平定された後、朝廷内では勢力争いが激化。
この混乱に乗じて台頭したのが、《西涼》の[董卓]でした。
[董卓]は軍事力を利用し、朝廷を手中に収め、
その専横を奮っていきました。
「[曹操]、檄文を飛ばす」
[董卓]の専横ぶりに、群雄たちは反応をつのらせ、
中でも[曹操]は[董卓]の暗殺を試みるも失敗。
命がけで逃避行をし、故郷へ戻った彼は、
逆賊[董卓]を討ち、漢室を取り戻すべく、
諸侯に檄文を飛ばし、挙兵を促しました。
「『反董卓連合軍』」
191年
[曹操]の檄文には、[袁紹][袁術][孫堅][馬騰]など、
各地の有力群雄が応じることとなりました。
[劉備]も義兄弟らを引き連れ、窮地であった[公孫サン]らとともに参加。
こうした[董卓]討伐の連合軍、『反董卓連合』結成されました。
「群雄、《洛陽》に迫る」
191年の冬には、名家出身の[袁紹]を盟主として、
『反董卓連合軍』は、[董卓]のいる《洛陽》をめざして攻め上がります。
連合軍の先鋒は[孫堅]であり、
《洛陽》の東の防衛の拠点、《水関》に迫りました。
『水関の戦い』
[董卓]は、《水関》の守将に[華雄]を送りました。
緒戦に勝利をしたのは『孫堅軍』でしたが、
[袁術]が兵糧の補給を怠ったため、混乱が生じ、
[華雄]は『孫堅軍』を返り討ちにしようとします。
「[関羽]、[華雄]を斬る」
勢いに乗った[華雄]は、連合軍の本陣に迫ります。
連合軍の将たちが次々と破れていく中、
[劉備]の義弟、[関羽]が名乗りを上げました。
陣幕を出てわずかな時間で、[関羽]は[華雄]を討ち取ります。
「猛将[呂布]と[劉備]義兄弟の対決」
[董卓]は、[華雄]が討ち取られた連絡を受け、
要害の地である《虎牢関》に立てこもりました。
そしてその関の前には[呂布]が立ちはだかります。
三国志最強とも言われる彼の武勇の前には、
『連合軍』は歯がたちません。
[公孫サン]が討たれようとしていたとき、
[張飛]が躍り出ます。
[張飛]は善戦したものの、[呂布]を破ることはできず。
義兄弟[関羽]も加勢するものの、[呂布]はこれに対して互角。
ついには[劉備]が加勢すると、
[呂布]も分が悪いと思い、隙を見て敗走します。
「[董卓]の《長安》遷都」
[呂布]の敗走に形勢が不利である事を悟った[董卓]は、
直ちに軍勢を率いて、《洛陽》へと帰還します。
そして《長安》への遷都を強引に推し進め、
《洛陽》の都には火をかけ、帝を保護し、民を引き連れて、
《長安》へと逃れました。
「群雄割拠の時代、再び」
『反董卓連合軍』は[董卓]の撤退という形で勝利を収めます。
この後に連合軍は《洛陽》に入りますが、
そこはすでにもぬけの殻でした。
群雄たちは各々自国に戻っていき、再び群雄割拠の時代は続きます。
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