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関羽 雲長


名:関羽(かんう)
字:雲長(うんちょう)
長生(元の字)
-Guan Yu-

諡号:壮繆侯、壮穆侯など
別名:渾名:美髯公
神号:協天大帝関聖帝君(道教)
   伽藍菩薩(仏教)
   文衡聖帝(儒教)

所属:劉備軍
出生:河東郡解(現:山西省運城市常平郷常平村)
生年:不明
没年:219年12月(建安24年)
享年不明


-伝-
『三国志 蜀書』
巻36『関張馬黄趙傳』[関羽]伝


-血縁関係-

子:[関平](養子) [関興] (関策)(関銀屏)
義兄弟:[劉備]、[張飛]
孫:[関統]、[関彝]
※()内の人物の名は架空とされる。


『真・三國無双』

CV:増谷康紀
二つ名は『軍神』など。
声優さんはナレーションなども担当される威厳のあるお方。
『蜀』勢力で、圧倒的な威厳と共に登場する彼。
長い髭が特徴的というのも、定番のスタイルで、
また、最近では息子と娘たちにも恵まれています。
武将としても非常に優秀な武人です。



『三国志大戦』

『三国志』には登場してこそ成り立つ人物。
もちろん大事なところは、
その髭。強そうな所。
軍神の名がふさわしい姿です。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

長い髭の特徴的な姿は三国志演義通り。
しかし意外なのは、武力に頼るあまり傲慢な姿があり、
それが自分の首を締めてしまったと、
本国中国のドラマにしては意外な人物像になっています。




『三国志演義』において、[劉備]と共に非常に活躍した、

それこそ神とも言われるほどの人物として知られています。

元々、[劉備]と同郷の人物でしたが、『黄巾の乱』の折、

義勇兵として、[劉備]、[張飛]とともに、義兄弟の契りを交わし、

以後、死地を共に歩んでいきます。


やがて[劉備]は《徐州》を得るものの[呂布]に裏切られ、

200年、[曹操]がその《徐州》を奪い、[劉備]を徹底的に攻め、

その折に、[関羽]は[曹操]に捕らえられますが、[関羽]を高く買っていた、

[曹操]によって、手厚く歓迎し、偏将軍に任じられます。

彼は[曹操]と[袁紹]の激しい戦い『官渡の戦い』で、猛将[顔良]を討ち取るなど、

[曹操]にますます気に入られていきます。


しかしながら、[関羽]は[劉備]への恩義を忘れず、

しかし[曹操]への恩義も忘れずに、[劉備]の元へと戻りました。

この時の伝説は、『関羽千里行』としても知られています。


この後、[関羽]は、[諸葛亮]も得た[劉備]とともにしていきます。

[劉表]の元に身を寄せていた[劉備]が攻められた後、

[孫権]と同盟を組み、『赤壁の戦い』でどのような戦いをしたのかは、

正史では分かっていない点が多いのですが、


その後、[劉備]が《益州》という土地をようやく手に入れた後、

[関羽]は[諸葛亮]と共に《荊州》の守備を任され、

ここで[曹操]だけではなく、[孫権]との睨み合いが起こる事になりました。


《荊州》をめぐって、[関羽]と『孫権』の間に幾つか戦いが起こり、

結局のところ『荊州』を半々にしています。

[孫権]はこの頃、[関羽]の娘、後に付けられた名では[関銀屏]と、

[孫権]の子と婚姻を結ばせようとしますが、これは[関羽]に一蹴されてしまうのでした。


[関羽]を、『劉備勢力』をいつまで経っても放っておけない[孫権]、

さらには[曹操]にとっては、《荊州》から上がってきて、

《樊城》の[曹仁]を攻めてくる危険な存在となっていました。

水攻めなどにより、

勇将[ホウ徳]まで打ち倒され、3万人の兵が[関羽]に降伏。

[曹操]も焦るものの、ここで動いていたのが、彼の配下になっていた[司馬懿]でした。

[関羽]を、『曹操軍』『孫権軍』で挟み撃ちにする計画だったのです。


[関羽]は油断をしてはいませんでしたが、

『孫権軍』の[呂蒙]、[陸遜]の策にはまってしまい、

『孫権軍』の逆襲にあってしまって、次々と敗走。

激しい追撃戦の後、[関羽]は降伏を受けるふりをして逃走するものの、

息子[関平]とともに、219年12月、捕虜となって処断されるのでした。


そののち、[関羽]の首は[曹操]の元に送られて、[曹操]は手厚く彼を葬りました。

一方、義兄弟を殺害され、更に続けざまに、[張飛]も失った[劉備]は、

あまりの怒りに『呉』に『夷陵の戦い』を起こすも大敗。

『蜀』の衰退はここから始まったとされ、

[関羽]が討たれたことが、『蜀』の滅亡の遠縁とも言えます。


彼の子孫は残っており、[関平]以外にも、後に『蜀』で活躍する[関興]、

架空の人物ですが、三男[関策]、三女[関銀屏]などが知られています。


武芸に優れていたという[関羽]は“青龍偃月刀”を使い、

天下無双だったといいますが、

文武両道の人物で、発足当初の『劉備軍』ではいわゆる、会計を担当していました。

故に、本国中国ではむしろ商業の神とされています。


そんな、神様扱いの[関羽]ですが、欠点もありました。

それが、自尊心の高さです。

自信過剰な上、文官などを見下していたとも言われています。


『三国志演義』では、武勇伝が非常に評価されているものの、

処断された後、その実行者の[呂蒙]を祟りで殺害した。

(事実、[呂蒙]は[関羽]の死後、すぐに病死しています)

という、現代の価値として、善人かどうか疑わしいところもあるのです。


しかしこのように、様々な描かれ方がされつつも、

髭が長く武勇に優れるという一定の人物像を持っている点で、

『三国志』の物語に絶対不可欠の人物です。


神様は言い過ぎかもしれませんが、『ドラマ三国志』でも、

武力に優れながらも、傲慢な人物というのは、割りと当たっているかもしれません。


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張飛 翼徳
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