[曹彰]は、[曹操]の四男、[卞氏]の子としては[曹丕]の弟で次男となり、
『魏』の初代皇帝の弟になります。
[曹丕]や、更に下の弟の[曹植]はどちらかといいますと、武人として知られ、
猛獣と格闘することが出来、また、弓や馬車の操縦が上手く、
こうしたことから[曹操]には気に入られていました。
父[曹操]が魏王となると“?陵侯”に封じられ、
主に異民族の反乱鎮圧で活躍し、[曹操]からも、
“黄鬚”という勇者の称号で称賛され、
また[曹彰]自身も通常の倍の恩赦を将兵たちに与え、人望も多かったのです。
[曹操]は[曹彰]を“驍騎将軍”に任じ、
異民族『鮮卑族』の[軻比能]を攻め込ませ、これを打ち破り、[曹操]に帰順させるなど、
主に異民族の反乱鎮圧を任されます。
●[曹操]臨終と、『魏皇帝』となった兄[曹丕]
220年
しかし、[曹操]の臨終の際、彼は離れた地《長安》に駐留しており間に合わず、
急いで駆けつけるも、[曹操]の死後を仕切っていた[賈逵]に追い返され、
大軍を率いてやってきたことから、
兄の[曹丕]に、優れた武勇を警戒され、冷遇されてしまいます。
●その最期
223年
一応、[曹丕]が『魏』の皇帝になったことから、“任城王”という、
高い地位を与えられるものの、時もそれほど経たずして、
《洛陽》で死去してしまいます。
[曹彰]は武人派ではありましたが、
後継者争いの際、時と場所に恵まれなかったことと、
より慎重派であった[曹丕]に警戒されてしまったことで、
彼の治世においては活躍ができなかったようです。
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