曹彰 子文

名:名:曹彰(そうしょう)
字:子文(しぶん)
-Cao Zhang-

所属:『曹操軍』→『魏国』

出生:豫州沛国県
生年:不明
没年:223年8月1日(黄初4年6月17日)
享年不明


血縁関係
祖父:[曹嵩]
父:[曹操] 母:[卞氏]
異母兄:[曹昂]
同母兄:[曹丕]
弟:[曹植][曹熊]他、異母弟が多数
子:[曹楷][王昌の妻]
孫:[曹温][曹悌]
ドラマ『三国志』版

吹替:小林かつのり
[曹丕]の弟であり、[曹操]の激しい後継者争いを展開。
武人派である彼は結局は負けてしまいます。
どちらかと言えば、
更に弟の[曹植]の出番の方が多いのです。
[曹操]の息子としては、
[曹丕][曹彰][曹植][曹沖]が登場します。


『三国志大戦』版

[曹操]の子として登場する彼。
やはり武人であったということもあって、
かなり荒々しい印象で描かれています。





[曹彰]は、[曹操]の四男、[卞氏]の子としては[曹丕]の弟で次男となり、

『魏』の初代皇帝の弟になります。

[曹丕]や、更に下の弟の[曹植]はどちらかといいますと、武人として知られ、

猛獣と格闘することが出来、また、弓や馬車の操縦が上手く、

こうしたことから[曹操]には気に入られていました。


父[曹操]が魏王となると“?陵侯”に封じられ、

主に異民族の反乱鎮圧で活躍し、[曹操]からも、

“黄鬚”という勇者の称号で称賛され、

また[曹彰]自身も通常の倍の恩赦を将兵たちに与え、人望も多かったのです。


[曹操]は[曹彰]を“驍騎将軍”に任じ、

異民族『鮮卑族』の[軻比能]を攻め込ませ、これを打ち破り、[曹操]に帰順させるなど、

主に異民族の反乱鎮圧を任されます。


●[曹操]臨終と、『魏皇帝』となった兄[曹丕]
220年

しかし、[曹操]の臨終の際、彼は離れた地《長安》に駐留しており間に合わず、

急いで駆けつけるも、[曹操]の死後を仕切っていた[賈逵]に追い返され、

大軍を率いてやってきたことから、

兄の[曹丕]に、優れた武勇を警戒され、冷遇されてしまいます。


●その最期
223年

一応、[曹丕]が『魏』の皇帝になったことから、“任城王”という、

高い地位を与えられるものの、時もそれほど経たずして、

《洛陽》で死去してしまいます。


[曹彰]は武人派ではありましたが、

後継者争いの際、時と場所に恵まれなかったことと、

より慎重派であった[曹丕]に警戒されてしまったことで、

彼の治世においては活躍ができなかったようです。


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