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曹嵩 巨高

名:曹嵩(そうすう)
字:巨高(きょこう)

諡号:太皇帝

所属:後漢朝廷
出生:?
生年:不明
没年:193年(初平4年)
(享年不明)


血縁関係
義父:[曹騰]
子:[曹操]、[曹徳]
甥:[夏侯惇]

ドラマ『三国志』版

なかなか彼の姿を拝める作品は少ないのですが、
こちらのドラマでは、[曹操]が[董卓]暗殺に失敗し、
故郷へと逃げ帰ったシーンで登場します。
そして、[陶謙]配下に暗殺をされ、
それに[曹操]や[曹仁]が嘆き、
[曹操]が《徐州》攻めを決断するシーンがあります。





『三国志』の英雄である[曹操]の父親になります。

彼の知名度は息子があまりにも有名なために、それほど知られていませんが、

[曹操]が、宦官の孫(曹一族の祖先と血縁関係はない)という所以となる人物でもあります。


●来歴
?年(誕生)~

元々[曹嵩]は『夏侯氏』の出身でした。

そのため、[夏侯惇]の叔父だったのですが、『後漢』の宦官で、

専横を振るっていた、大長秋[曹騰]の養子となります。


●《徐州》での最期
188年~193年

[曹嵩]は、司隷校尉、大司農、大鴻臚を経て、188年には太尉まで上り詰めます。

しかし当時は、賄賂社会の腐敗が朝廷に広がっており、

[曹嵩]も相当の金額を当時の皇帝[霊帝]に献上、

賄賂を広げてその地位を手にしていました。


その後に『黄巾の乱』などの後漢末期の動乱が始まり、

[曹嵩]は、徐州の東北部に避難しようとします。

しかし、息子の[曹操]が群雄となり、《エン州》に地盤を固めたので、

その地に移ろうとしましたが、


その途中、《徐州》牧[陶謙]の配下によって殺害されてしまいました。

この事に憤慨した[曹操]は、《徐州》を徹底的に攻めるのです。

220年には、『魏国』を建てた孫の[曹丕]により、“太皇帝”と諡号を送られています。


○人柄と性格

息子の[曹操]は、非常に苛烈なことで有名ですが、

父の[曹嵩]はそうではなく、慎ましやかで、忠義を持っていました。

しかしながら、当時は『後漢王朝』の明確な腐敗が始まり、

地位を上げるべく、やむなく賄賂をしていくことになったようです。


○『三国志演義』にて

こちらの物語にも登場する彼ですが、

正史とほぼ同じ人物像で、[陶謙]の部下、[張ガイ]に殺害されてしまう内容です。


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曹昂 子脩
曹昂 子脩