『三国志』の英雄である[曹操]の父親になります。
彼の知名度は息子があまりにも有名なために、それほど知られていませんが、
[曹操]が、宦官の孫(曹一族の祖先と血縁関係はない)という所以となる人物でもあります。
●来歴
?年(誕生)~
元々[曹嵩]は『夏侯氏』の出身でした。
そのため、[夏侯惇]の叔父だったのですが、『後漢』の宦官で、
専横を振るっていた、大長秋[曹騰]の養子となります。
●《徐州》での最期
188年~193年
[曹嵩]は、司隷校尉、大司農、大鴻臚を経て、188年には太尉まで上り詰めます。
しかし当時は、賄賂社会の腐敗が朝廷に広がっており、
[曹嵩]も相当の金額を当時の皇帝[霊帝]に献上、
賄賂を広げてその地位を手にしていました。
その後に『黄巾の乱』などの後漢末期の動乱が始まり、
[曹嵩]は、徐州の東北部に避難しようとします。
しかし、息子の[曹操]が群雄となり、《エン州》に地盤を固めたので、
その地に移ろうとしましたが、
その途中、《徐州》牧[陶謙]の配下によって殺害されてしまいました。
この事に憤慨した[曹操]は、《徐州》を徹底的に攻めるのです。
220年には、『魏国』を建てた孫の[曹丕]により、“太皇帝”と諡号を送られています。
○人柄と性格
息子の[曹操]は、非常に苛烈なことで有名ですが、
父の[曹嵩]はそうではなく、慎ましやかで、忠義を持っていました。
しかしながら、当時は『後漢王朝』の明確な腐敗が始まり、
地位を上げるべく、やむなく賄賂をしていくことになったようです。
○『三国志演義』にて
こちらの物語にも登場する彼ですが、
正史とほぼ同じ人物像で、[陶謙]の部下、[張ガイ]に殺害されてしまう内容です。
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