曹昂 子脩

名:曹昂(そうこう)
字:子脩(ししゅう)

所属:『後漢朝廷』・『曹操軍』
出生:?
生年:不明
没年:193年(初平4年)
(享年不明)


血縁関係
祖父:[曹嵩]
父:[曹操] 母:[劉夫人]
同母弟:[曹鑠] 姉妹:[清河長公主(夏侯楙夫人)]
異母弟:[曹丕]
ドラマ『三国志』版

祖父、[曹嵩]と並んで、
なかなか彼の姿を拝める作品は少ないものです。
『宛城の戦い』自体が省略されているため、
[典韋]と共に、後で語られている程度でしかありません。


『三国志大戦』版

若い[曹操]の息子として登場。
どうやら父を死地から逃すシーンを描いたらしく、
なかなか描かれない人物とはいえ勇ましいです。





[曹操]にとっては初めての息子なので、長男であるのですが、

次男[曹丕]が皇帝にもなり、また、異母兄弟であるため、

[曹丕]の方が長男となることも多いようです。


○来歴

[曹操]の当初の正室であった、[劉夫人]の長男でしたが、

彼女が早世してしまったため、[丁夫人]に育てられました。

詳しくどのように育ったかは伝わっていません。


●『宛城の戦い』で
197年

父[曹操]は、《宛城》において[張繍]の降伏を受け入れるも、

彼は[張済]の未亡人と密通しようとしており、

これが[張繍]の耳に入っていたことが分かり、[曹操]は逆に返り討ちにしようとしたものの、

やはり先手を取られて、《宛城》の[曹操]を襲撃。


この奇襲攻撃に[曹操]も死地に陥りますが、

ここで息子[曹昂]は父を無事に逃がすために、自らの馬を差し出し、

そして彼自身は『張繍軍』の前に散るのでした。


[曹昂]の死を知った育ての母[丁夫人]は、[曹操]を恨んで、

彼自身も相当に謝罪したそうですが、二度と[曹操]の元には戻りませんでした。


人柄などについては詳しく伝わっていません。

異母弟[曹丕]に後に言わせれば、弟にして天才的だった[曹沖]が生きていたら、

自分は父の後継者になれなかったが、兄[曹昂]であったら、

彼に限界が会っただろうと言った。と言われています。


[曹昂]と[曹丕]は面識がある。(おそらく歳は離れていた。[曹昂]死去時197年で[曹丕]は10歳のため)

のですが、そこまで[曹昂]は才能あふれていたわけではない、

という事でしょうか。


ただ、父をかばった際の彼の武勇伝は現代にも語り継がれています。


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曹彰 子文
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