「董卓」、「李カク」、「段ワイ」、「張繍」などに仕えていた後、
元は「曹操」の敵として登場し、彼に痛手を負わせるほどの強敵の軍師。
『宛城の戦い』で「典韋」を追いつめて殺害しているものの、
後に「曹操」にその才能を認められて登用され、
以来、そのひょうひょうとした姿とは裏腹に、
「曹操」の配下として活躍します。
彼は以来、「曹操」の参謀として、『官渡の戦い』『潼関の戦い』
『赤壁の戦い』などでも活躍。
「曹操」の息子にして、『魏』の初代皇帝である「曹丕」にも仕えているのです。
223年に死去、77歳で病死との事ですが、
この乱世の中、ここまで生きて、長きに渡って仕えていただけあって、
『魏』における彼の功績はとても大きいのでしょう。
とにかく彼は処世術に長けており、次々と主君を変えているものの、
どこでも重宝されている存在。
特に「曹操」に気に入られていたようですが、
あえて、子供の縁談相手に高貴な家を選ばなかったなど、
本当の意味での力量をわきまえた策士で、天寿を全うしています。
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