賈ク 文和

名:賈ク(かく)
字:文和(ぶんわ)
-Jia Xu-

別名:諡号

所属:曹操軍→魏国
出生:
生年:不明
没年:227年
(享年:享年不明)

『真・三国無双』

CV:石川英郎
二つ名は「打算を知る男」
無双シリーズにおける彼は、ひょうひょうとしていながらも、
知略に飛んで抜け目がない。
実際の彼もそうした人であったらしく、処世術がとても巧妙、
だからこそ長生きしたのかもしれません。
そう言えば、無双での彼は、ターバンのようなものを巻き、
イスラム系の人のようにも見えるのですが、
別に彼は回教徒だったわけではなく、
西方の出身であった事に由来しているのだと思います。

ドラマ『三国志』版

このドラマでの「曹操」の軍師は「荀ケ」などが中心で、
「曹操」の長男の仇でもある「賈ク」は登場しませんでした。

『三国志大戦』

いかにも狡猾な策士として登場。
しかしそうでなければ、乱世でやっていくのは、
難しかったのでしょうね。

  

「董卓」、「李カク」、「段ワイ」、「張繍」などに仕えていた後、

元は「曹操」の敵として登場し、彼に痛手を負わせるほどの強敵の軍師。

『宛城の戦い』で「典韋」を追いつめて殺害しているものの、

後に「曹操」にその才能を認められて登用され、

以来、そのひょうひょうとした姿とは裏腹に、

「曹操」の配下として活躍します。


彼は以来、「曹操」の参謀として、『官渡の戦い』『潼関の戦い』

『赤壁の戦い』などでも活躍。

「曹操」の息子にして、『魏』の初代皇帝である「曹丕」にも仕えているのです。


223年に死去、77歳で病死との事ですが、

この乱世の中、ここまで生きて、長きに渡って仕えていただけあって、

『魏』における彼の功績はとても大きいのでしょう。


とにかく彼は処世術に長けており、次々と主君を変えているものの、

どこでも重宝されている存在。

特に「曹操」に気に入られていたようですが、

あえて、子供の縁談相手に高貴な家を選ばなかったなど、

本当の意味での力量をわきまえた策士で、天寿を全うしています。


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典韋
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