三国志 Three Kingdoms 第85話 「罵って王朗を殺す」

三国志 Three Kingdoms 第84話 「出師の表」

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第七部「危急存亡」 第八十五集

時代背景:226年(『魏』黄初元年・『呉』黄武5年・『蜀』建興4年)
〜228年(『魏』太和2年・『呉』黄武7年・『蜀』建興6年)
『天水の戦い』


[司馬懿]失脚の後、[諸葛亮]が“北伐”を開始し、

これに危機感を感じる、新たに『魏』の皇帝となった[曹叡]。

[曹真][曹休]らを大将とする案を出す重臣の[王朗]ですが、

対立を避けるために、“北伐”対策の大将に任じられたのは[夏侯楙]でした。


一方“北伐”で『魏』に肉薄する[諸葛亮]は、

《長安》まで攻めこむために多方面攻撃をしようとしていました。

この進路のことについて、[魏延]らと[諸葛亮]で対立が起こります。


《祁山》を経由して《長安》を攻めれば、何ヶ月もかかる、と、

そう言う[魏延]の意見に対し、着実に事を進めようとする[諸葛亮]。


迫ってきた[諸葛亮]に対して、じっくりと守れる[司馬懿]は、

あくまで、兵の増強に務め、朝廷の提言もせず、

あくまで先の事を考えている彼に、息子の[司馬昭]らは気が気でない様子。


この[司馬懿]の動きに警戒心を抱いた『曹一族』は、

[曹叡]自らが真偽を正そうとやってきます。

これに対し、謀反の気はないとばかりに[司馬昭]と二人でやってきた[司馬懿]。

兵を募ったかどうかと問う[曹叡]に、

ありのまま本当のことを話す[司馬懿]。

本来ならば勝手に増兵することは皇帝に歯向かう事でしたが、

[諸葛亮]が攻めてくる事を見抜いていた[司馬懿]に、

完全に官職を奪ってしまう[曹叡]。


「穏やかな晩年は、得難い存在だ」

とまで言ってしまう[司馬懿]。

そんな彼の思惑が当たったとばかりに、《南安》の城が落とされる侵攻が始まります。

(恐らく《天水》も落とされたと思われます)

[司馬懿]の言ったとおり、[諸葛亮]の軍が迫ることになります。

直接描かれてはいませんが、[姜維]も『蜀』に降伏したとのこと。


[曹叡]は、[曹真]を大将軍とし、[王朗]を軍師とし、

《祁山》での戦いへ赴かせます。

[王朗]と対面することになる[諸葛亮]ですが、

このような老人など相手にならないとばかりに、

官位貪り、賊に属した。白髪頭の匹夫。二十六の漢の先帝に合わせる顔があるのか、

とまで言い放ってしまい、発狂したのか[王朗]はショック死。

(でも曾孫が天下を統一するんだよなあ…)

『魏軍』の士気が、この突然の出来事で乱れてしまいます。


ここで[姜維]が初めて登場。

[王朗]が死去した事を伝えに来ます。

[曹真]が大々的に葬儀をすることが、逆に怪しいと、

[諸葛亮]は現地の地理に詳しい[姜維]に裏をかかせます。


誰を戦に出すべきか、人を判断すべきと、[曹叡]は重臣に推挙されます。

[曹真][曹休]など比べ物にならない人物、

その者の名は[司馬懿]でした。

[司馬懿]を疑ってしまった事を悔やむ[曹叡]ですが、

いまさらどうすることも出来ず。


やがて[李厳]の息子の[李豊]が[諸葛亮]に持ってきたのが、

『魏』の武将[孟達]の寝返りでした。


珍しく長男の方の[司馬師]が出てきた[司馬懿]側。

まだ20歳なんですが、老け顔なのは家系なのか…。

『魏』の危機的な状況に、[司馬懿]の息子達は気が気でならないのですが、

[司馬懿]に出て行く気は全く無く。

遣いに朝廷の者が来て詔が出されたことで、

再び将軍としての出兵が命じられるのです。


注目の人物



「[王朗]の存在感」

実は彼の曾孫が三国を統一するとは、誰も思われない時代―。


注目の登場人物



[王朗]
?年)〜228年(太和2年)

吹替:山野史人

息子は[王粛]、孫娘が[王元姫]。

その[王元姫]が[司馬懿]の息子である[司馬昭]に嫁ぎ、

その二人の息子[司馬炎]が天下を統一するので、曾孫が三国を統一します。

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三国志 Three Kingdoms 第86話 「空城の計」
三国志 Three Kingdoms 第86話 「空城の計」

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