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三国志 Three Kingdoms 第63話 「張松、辱めを受ける」


三国志 Three Kingdoms 第62話 「衣を脱ぎ馬超と戦う」



「《西涼》の[劉璋]は、[劉備]と同じ穴のムジナだ。
自分を正統とみなし、わしを相手にしなかった。
それがなぜ朝貢に来た?
[劉璋]のやつめ、何を考えている?
助けてほしのか?騙しに来たのか?」

―[曹操 孟徳]



第五部「奸雄終命」第六十三集

時代背景:211年(建安16年) 『潼関の戦い』


[馬超]と[韓遂]との仲は決定的な亀裂をうみ、

[曹操]と[韓遂]が通じていると思い込んだ[馬超]は、

彼と対立、腕を切り落としてしまいます。

そして『馬超軍』は『曹操軍』の襲撃を受けて、ついに敗走してしまいます。

[馬超]は《漢中》に敗走して、[張魯]の元へと身を寄せるのでした。




そして、舞台は《西蜀》にまつわる話へ―。

《西蜀》では、[張松]という人物が、自分の主君である[劉璋]に、

[曹操]と手を組み、[張魯]に対向するように提案します。


しかしそれを[劉璋]に聞き分けてもらえなかった彼は、

同じく配下の[法正]と酒を飲み交わし、

愚鈍な[劉璋]にはとても大業などなせないと嘆きます。

そして《西蜀》は[曹操]に献上してしまい、

より有能な主君を得ようとします。

そのために[張松]は、《西蜀》の地図まで用意していたのでした。


その頃、[曹操]は大戦につぐ大戦で兵力が疲弊しきっており、

かなりの打撃を受けている状態でした。

[曹操]は、三年を休戦期間として、十分な兵力を整えることを決めます。


そんな中、[張松]は[曹操]に会いにまでいき、面会を求めるものの、

[曹操]は彼のことを小物と判断しており、会うことを拒否。

[程c]が[曹操]を説得すると、ようやく謁見を許されるのですが、

[曹操]は、まったくもって[張松]のことを軽んじており、

やっと会ったかと思えたら、わざとらしく名前を間違えたり、

話を聞いていなかったりとの始末。


更には[曹操]は自分の軍の訓練時の精強さを[張松]に見せつけ、

これを脅しとして見せつけます。

[張松]の言い分に怒った[曹操]は彼を叩きの刑にし、

ついには追い返してしまうのでした。



[曹操]に追い返された[張松]でしたが、

彼はその帰路、[劉備]の軍師になったばかりの[ホウ統]に出会います。

彼は[劉備]が[張松]を待っていたと言い、

盛大な歓迎と共に[張松]を出迎えるのでした。






このエピソードの注目点
「動き出す西の勢力」

『西涼軍』の猛威振るう『潼関の戦い』は決着がつき、

今まで舞台として現れず、それほど大きな勢力でもない、

と判断されていた《西蜀》ですが、ここにきてようやく描かれます。

この地は、[諸葛亮]が[劉備]に、天下三分の計を、

立案し、彼が大きく出世をするために必要不可欠な土地なのです。


[劉璋][張松][法正]など、《西蜀》にまつわる人物たちも登場し、

いよいよこの地を巡った争いが勃発しようとしているのです。


注目の人物



[張松 子喬](永年) -Zhang Song-
西暦?年〜212年

吹替:水野龍司


[劉璋]配下の人物。

彼の出世はあまり知られていませんが、

[曹操]が《慶州》を支配下に置き、《関中》《漢中》をも支配下に置いた時、

[曹操]へと使者を三度おくったという話があります。


しかし[曹操]に冷遇される事になってしまい、

《益州》に入ってきた[劉備]こそ、

自分の主君になるにふさわしいと思い、

実際に彼はそちらで厚遇されます。

ですが最終的に、[張松]だけでは[劉備]の真意を知ることはできないのでした。


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三国志 Three Kingdoms 第64話 「張松、地図を献ず」
三国志 Three Kingdoms 第64話 「張松、地図を献ず」

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