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第五部「奸雄終命」第六十三集
時代背景:211年(建安16年) 『潼関の戦い』
[馬超]と[韓遂]との仲は決定的な亀裂をうみ、
[曹操]と[韓遂]が通じていると思い込んだ[馬超]は、
彼と対立、腕を切り落としてしまいます。
そして『馬超軍』は『曹操軍』の襲撃を受けて、ついに敗走してしまいます。
[馬超]は《漢中》に敗走して、[張魯]の元へと身を寄せるのでした。
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そして、舞台は《西蜀》にまつわる話へ―。
《西蜀》では、[張松]という人物が、自分の主君である[劉璋]に、
[曹操]と手を組み、[張魯]に対向するように提案します。
しかしそれを[劉璋]に聞き分けてもらえなかった彼は、
同じく配下の[法正]と酒を飲み交わし、
愚鈍な[劉璋]にはとても大業などなせないと嘆きます。
そして《西蜀》は[曹操]に献上してしまい、
より有能な主君を得ようとします。
そのために[張松]は、《西蜀》の地図まで用意していたのでした。
その頃、[曹操]は大戦につぐ大戦で兵力が疲弊しきっており、
かなりの打撃を受けている状態でした。
[曹操]は、三年を休戦期間として、十分な兵力を整えることを決めます。
そんな中、[張松]は[曹操]に会いにまでいき、面会を求めるものの、
[曹操]は彼のことを小物と判断しており、会うことを拒否。
[程c]が[曹操]を説得すると、ようやく謁見を許されるのですが、
[曹操]は、まったくもって[張松]のことを軽んじており、
やっと会ったかと思えたら、わざとらしく名前を間違えたり、
話を聞いていなかったりとの始末。
更には[曹操]は自分の軍の訓練時の精強さを[張松]に見せつけ、
これを脅しとして見せつけます。
[張松]の言い分に怒った[曹操]は彼を叩きの刑にし、
ついには追い返してしまうのでした。
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[曹操]に追い返された[張松]でしたが、
彼はその帰路、[劉備]の軍師になったばかりの[ホウ統]に出会います。
彼は[劉備]が[張松]を待っていたと言い、
盛大な歓迎と共に[張松]を出迎えるのでした。
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このエピソードの注目点
「動き出す西の勢力」
『西涼軍』の猛威振るう『潼関の戦い』は決着がつき、
今まで舞台として現れず、それほど大きな勢力でもない、
と判断されていた《西蜀》ですが、ここにきてようやく描かれます。
この地は、[諸葛亮]が[劉備]に、天下三分の計を、
立案し、彼が大きく出世をするために必要不可欠な土地なのです。
[劉璋][張松][法正]など、《西蜀》にまつわる人物たちも登場し、
いよいよこの地を巡った争いが勃発しようとしているのです。
注目の人物
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[張松 子喬](永年) -Zhang Song-
西暦?年〜212年
吹替:水野龍司
[劉璋]配下の人物。
彼の出世はあまり知られていませんが、
[曹操]が《慶州》を支配下に置き、《関中》《漢中》をも支配下に置いた時、
[曹操]へと使者を三度おくったという話があります。
しかし[曹操]に冷遇される事になってしまい、
《益州》に入ってきた[劉備]こそ、
自分の主君になるにふさわしいと思い、
実際に彼はそちらで厚遇されます。
ですが最終的に、[張松]だけでは[劉備]の真意を知ることはできないのでした。
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