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第五部「奸雄終命」第六十四集
時代背景:212年(建安17年)
[曹操]に侮辱をされた[張松]は、[劉備]側につくことを決めます。
[張松]は、[劉備]に《西蜀》を献上したいと願いますが、
[劉備]は同族である[劉璋]の領土をだまし取ることなどできないと、
これに対して反対します。
しかし[ホウ統]から、《漢中》の[張魯]や[曹操]によって、
危機を迎えているから来て欲しいと言うようにと、
助言を受けた[張松]は、
[劉備]を迎えようとすべく[劉璋]の説得に当たります。
心動かされた[劉璋]は、[法正]を[劉備]の元へといかせます。
しかしながら[劉備]は、《西蜀》に行くことは承知するのですが、
そこを奪ってしまうという[法正]の案には、やはり従えないのでした。
主君が《西蜀・益州》に行けば、《荊州》を奪われてしまう危険がある、
との言い訳のようなものをする[劉備]陣営ですが、
[法正]は[張魯]に対向するため、何としてでも[劉備]に
破格の待遇で《西蜀》に来てほしく言います。
[ホウ統]曰く、[劉備]は確かに《益州》を欲しがっているが、
それは、天子の勅命で[劉璋]が収めていること。
取らざるを得ない理由がなければならないということ。
この道理を[劉備]がわきまえているから、なのだとか。
そして、いつ《益州》をとるかは、時期が必要なのだと。
更に[関羽]と[張飛]は《荊州》に起き、大軍で守っておく必要がある。
というのでした。
そのため、《西蜀》へ行く軍は[黄忠]や[魏延]が向かうというのです。
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これに対して[劉璋]配下の[黄権]らは、[劉備]の罠であると言い、
[劉璋]が向かう事に痛烈に反対をします。
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[王塁]は[劉璋]を止めるために、自ら命を経つことをしてしまいます。
さらに[黄権]は、[劉璋]の護衛を3万にして、
[劉備]に立ち向かうということさえ提案します。
このエピソードの注目点
「西の勢力の動向」
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[法正][張松]らは、何としても無能な君主であるとする[劉璋]を追い払い、
[劉備]に《蜀》を統治して欲しい。
しかし[劉備]は同族である[劉璋]は攻められない。
このせめぎあいの状況が続くこの時期。
果たして誰が《蜀》を取って統治する事ができるのか、
迷いながらの状況が続きます。
あくまで[劉備]は、『漢王朝』の配下であると言い、
決して天下を狙うつもりはないと言うのです。
そして[劉璋]と[劉備]は血縁関係があり、骨肉の争いとなってしまうのです。
注目の人物
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[法正 考直] -Fa Zheng-
西暦176年〜220年
吹替:飛田展男
元[劉璋]配下の人物で、[劉備]陣営に入ることになる人物。
[劉備]が入蜀を果たすきっかけをつくった人物として、
この時代に活躍する人物です。
後世の評価によれば、判断力に優れ、並外れた計略の所有者、
しかし徳性については賞賛されることはなかった。
と言われています。
その知力は、『魏』でいうところの、
[程c][郭嘉]に匹敵すると言われ、
『夷陵の戦い』で[劉備]が大敗したときも、
[法正]がいたら、大敗は避けられたと、[諸葛亮]が言わしめるほどでした。
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