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第五部「奸雄終命」第六十二集
時代背景:211年(建安16年) 『潼関の戦い』
父親の無念を晴らすために、[馬超]との全面対決が始まりました。
しかしながら『西涼軍』は[曹操]が元より警戒していた通りに、
相当な猛攻を仕掛けてきたため、やむを得ず[曹操]は退却。
一度は大敗し、服を脱ぎ、髭を切り落として、
[曹操]だと分からない姿で逃げ切る彼。
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追い打ちをかけるように[韓遂]が[馬超]の援軍にやってきたときくと、
[曹操]は、10万の兵で対抗します。
しかしこれも奇襲に遭って、多くの水軍を失ってしまう[曹操]。
窮地に陥った彼が見出した活路は、
城を建てて、それを《西涼》の寒さで凍らせ交戦することで見出します。
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[馬超]とは[許チョ]が立ち向かい、激しい激戦を繰り広げていきます。
しかしそこを[徐晃]らが率いる精鋭部隊が挟み撃ちすることになるのです。
今度は打撃を受ける事になり追い詰められた『西涼軍』に対して、
[韓遂]は[馬超]に[曹操]との和平を提案します―。
この[韓遂]の行動に対し、[馬超]は不信し、
彼を[曹操]と通じた裏切り者と決めつけてしまいます。
このエピソードの注目点
「『西涼軍』と全面対決をする『曹操軍』」
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『赤壁の戦い』の次に起きた大戦と言われるのが、
この『潼関の戦い』になります。
『西涼軍』は北方の民族ということもあり、[曹操]も前々から警戒、
そして『赤壁の戦い』の大敗に乗じて攻めてくるなどの、
かなりの警戒心をよせていました。
実際のところ、[曹操]は、[韓遂]と[馬超]を仲違いさせ、
内部分裂を起こすという形で、決着をつけています。
こうして、[曹操]は敵の心理を利用して、
西の大きな憂いを断つことができたのでした。
注目の人物
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[馬超 孟起] -Ma Zhao-
西暦176年〜222年
吹替:森川智之
後に『蜀』の五虎大将軍の一人になる人物。
『西涼』出身で血気盛んな人物であり、
[曹操]を暗殺しようとした[馬騰]が父親です。
そのため、[曹操]に対しての憎しみが人一倍強いといいます。
猛将としても知られている[馬超]は、『潼関の戦い』で[許?]と、
《葭萌関》で[張飛]と激しい一騎打ちをしていることが、
よく伝説として引き合いに出されますね。
[曹操]に対して復讐心を燃やす、正義のヒーローとして描かれる、
そんな[馬超]ですが、かなり血気盛んな人物でもあり、
[曹操]に通じていたと思い込み、
[韓遂]の腕を切り落としたといった一面もあります。
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