三国志 Three Kingdoms 第62話 「衣を脱ぎ馬超と戦う」


三国志 Three Kingdoms 第61話 「曹丕に罪を問う」



「[曹操]め! どの面を下げて朝廷などと言う!
天子を欺き、我が父を殺したくせに!
貴様を生け捕りにして、肉を食らい、皮を寝床としてやる!
“曹賊”め! 覚悟しろ!」

―[馬超 孟起]



第五部「奸雄終命」第六十二集

時代背景:211年(建安16年) 『潼関の戦い』


父親の無念を晴らすために、[馬超]との全面対決が始まりました。

しかしながら『西涼軍』は[曹操]が元より警戒していた通りに、

相当な猛攻を仕掛けてきたため、やむを得ず[曹操]は退却。

一度は大敗し、服を脱ぎ、髭を切り落として、

[曹操]だと分からない姿で逃げ切る彼。



追い打ちをかけるように[韓遂]が[馬超]の援軍にやってきたときくと、

[曹操]は、10万の兵で対抗します。

しかしこれも奇襲に遭って、多くの水軍を失ってしまう[曹操]。


窮地に陥った彼が見出した活路は、

城を建てて、それを《西涼》の寒さで凍らせ交戦することで見出します。




[馬超]とは[許チョ]が立ち向かい、激しい激戦を繰り広げていきます。

しかしそこを[徐晃]らが率いる精鋭部隊が挟み撃ちすることになるのです。


今度は打撃を受ける事になり追い詰められた『西涼軍』に対して、

[韓遂]は[馬超]に[曹操]との和平を提案します―。


この[韓遂]の行動に対し、[馬超]は不信し、

彼を[曹操]と通じた裏切り者と決めつけてしまいます。




このエピソードの注目点
「『西涼軍』と全面対決をする『曹操軍』」



『赤壁の戦い』の次に起きた大戦と言われるのが、

この『潼関の戦い』になります。

『西涼軍』は北方の民族ということもあり、[曹操]も前々から警戒、

そして『赤壁の戦い』の大敗に乗じて攻めてくるなどの、

かなりの警戒心をよせていました。

実際のところ、[曹操]は、[韓遂]と[馬超]を仲違いさせ、

内部分裂を起こすという形で、決着をつけています。

こうして、[曹操]は敵の心理を利用して、

西の大きな憂いを断つことができたのでした。


注目の人物



[馬超 孟起] -Ma Zhao-
西暦176年〜222年

吹替:森川智之


後に『蜀』の五虎大将軍の一人になる人物。

『西涼』出身で血気盛んな人物であり、

[曹操]を暗殺しようとした[馬騰]が父親です。

そのため、[曹操]に対しての憎しみが人一倍強いといいます。


猛将としても知られている[馬超]は、『潼関の戦い』で[許?]と、

《葭萌関》で[張飛]と激しい一騎打ちをしていることが、

よく伝説として引き合いに出されますね。


[曹操]に対して復讐心を燃やす、正義のヒーローとして描かれる、

そんな[馬超]ですが、かなり血気盛んな人物でもあり、

[曹操]に通じていたと思い込み、

[韓遂]の腕を切り落としたといった一面もあります。


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三国志 Three Kingdoms 第63話 「張松、辱めを受ける」
三国志 Three Kingdoms 第63話 「張松、辱めを受ける」

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