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三国志 Three Kingdoms 第60話 「馬騰、都に入る」


三国志 Three Kingdoms 第59話 「銅雀台に詩を戦わす」



「この[曹操]の詔には奸計が隠されている。
やつの狙いは、お前と私の離間による、《西涼》の内乱だ。
実際、私を大将軍に任じたが、お前への言及はなく、
褒賞も一切ない。なぜだと?
これこそ敵の作戦。」

―[馬騰 寿成]



第五部「奸雄終命」第六十集

時代背景:210年(建安14年)〜212年(建安17年)


[司馬懿]が[曹丕]の賓客になり、後見人となる。

その決意を固めた[司馬懿]でしたが、[曹操]も彼は、

[曹植]の賓客になることを望んでおり、

[司馬懿]は城を追われてしまうのでした。




しかし[曹操]は完全に[司馬懿]を追い出したのではなく、

今は彼を遠ざけたというだけのようですが―。


その頃、《西涼》の[馬騰]の存在を疎ましく思い、

また『西涼軍』の勇猛盛んな騎馬部隊を脅威に思っていた[曹操]は、

[荀ケ]の策を取り入れ、

[馬騰]を前将軍に任命して、[孫権]討伐の命令を下し、

《許都》に立ち寄った所を襲うという策を立てます。



しかし[馬騰]側もその姦計を見抜いており、

義弟の[韓遂]と結託し、逆に[曹操]を暗殺して、

《許都》をとってしまおうと目論んでいるのでした。

この堂々たる作戦に、[馬騰]の息子の[馬超]は、

少数の軍で[曹操]を騙すつもりだからと、不安がっているのですが、

果たして彼らの軍の起こそうとする変事は成功するのか。


しかし、この《許昌》内部と通じた作戦は、

内部の内通者から情報が漏れだしてしまう事になるのでした。


《西涼》で内乱が起きたという話には、

[曹操]も信憑性が薄く、腑に落ちない様子を見せ、

彼らの作戦にも疑いをかけてきます。


そして[曹操]の元へと少数でやって来る[馬騰]。

彼を丞相と言って畏まる[馬騰]ですが、

もちろんこれは彼等へと攻撃を仕掛けるための建前です。


[馬騰]らには兵糧を渡し、誠意を見せる[曹操]でしたが、

あくまで疑いをかけており、

実際、《西涼》の軍はすでに《渭水》にまでやって来ているのでした。

[曹操]の命を奪うために《丞相府》に攻めこむことは、

時が来れば達成されるはずだったのですが、

肝心の門番を開ける内通者が不貞な男であり―。




このエピソードの注目点
「《西涼》の[馬騰]の脅威」



『西涼軍』の[馬騰]とは[曹操]にとっても脅威であり、

『赤壁の戦い』の敗戦でいつ彼が攻めてくるかと、

ひやひやしていた時もあったほどの相手です。

実際、彼らはモンゴルにほど近い血族であり、騎馬隊が非常に強く、

まともに戦っては敗退するような相手でした。

そんな[馬騰]が攻めてくる事を画策している。

[曹操]の頭痛の種となってしまうのですが、彼とも決着をつける時は迫ります。


注目の人物



[馬騰 寿成] -Ma Teng-
?〜212年(建安17年)

吹替:佳月大人


勇猛盛んと言われた、北の《西涼》を治めていた軍閥の一派の長。

後に『蜀』の将軍となる[馬超]の父に当たる人物です。

反董卓連合軍にも参加していましたが、

その後は《西涼》で頻発する反乱の平定などに務め、

やがては[曹操]に従うようにもなりますが、

一族を引き連れて入朝したところを、

彼等を脅威と判断していた[曹操]によって暗殺されてしまったといいます。


説によれば、[馬騰]側が、都を乗っ取ろうとしていたという、

説の方が強く、そのために[曹操]に倒されてしまったという話です。


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三国志 Three Kingdoms 第61話 「曹丕に罪を問う」
三国志 Three Kingdoms 第61話 「曹丕に罪を問う」

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