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三国志 Three Kingdoms 第48話 「魯粛の斡旋」


三国志 Three Kingdoms 第47話 「智略で南郡を取る」



「私も主君に代わって、皇叔にお願いが。
[劉g]殿がご存命の間はともかく、万が一の場合のことです。
[劉備]殿が《荊州》を占領し続けたら、筋が通りません。」

―[魯粛 子敬]


第四部「荊州争奪」第四十八集

時代背景:209年(建安13年)〜210年(建安14年)



[劉備]達が、《荊州》の領土を奪い始め、抜き差しならない状況になる中、

[魯粛]は、[孫権]の大義を元に、《合肥》へと[周瑜]を向けさせ、

彼を撤退せざるをえない状況を作ろうとします。

これは、負傷した[周瑜]の身を案じての事でした。


ここで《合肥》で起きている戦いというのは、[張遼]が出陣しているものの、

有名な方の『合肥の戦い』とは違うものです。

しかし[周瑜]はこちらに向かう事に不服で、

あくまでも、《荊州》に全ては有りというのです。


頑として動こうとしない[周瑜]でしたが、[魯粛]は何とかして彼をなだめ、

[劉備]がいる《荊州・襄陽》には、[魯粛]自らが出向くのです。


[魯粛]は、穏健にも話し合いで《荊州》を返して欲しいと言うのです。

彼に言わせれば、《赤壁》で勝てたのも、今日[劉備]らがあるのも、

自分たちがいてのこと、と論じるのでした。




言い返す[諸葛亮]は、《荊州》は元々『劉氏』の土地であるゆえ、

『孫呉』と争うべきではない、と言い返すのです。

[劉備]は本来の主である、[劉g]に返すべきと言うのですが、

肝心の[劉g]は、病で危篤状態にあり、[魯粛]はそれ以上何も言えなくなってしまうのでした。


しかし今のままの状況では、[劉備]達も、[孫権]達にも利益は無いと言いのけ、

その場の幕を閉じます。


[魯粛]は、[劉g]が病死したら、即座に《荊州》を穏便に取り戻すと、

[周瑜]に報告します。

腑に落ちない[周瑜]は《合肥》は[甘寧][凌統]に任せ、

自分は動かないと決めてしまいます。

そうなるだろうと思っていた[孫権]は、それ以上[周瑜]を責めることはできず、

ただ、[劉備]達の動きを今は静観するのでした。


[劉備]らはやはり《荊州》で地盤固めをするつもりであり、

四郡へと勢力を広げ、兵力や地盤を整えるつもりなのでした。




その頃、《荊州・零陵》では、[劉度]が治め、平和に暮らしてはいたのですが、

危機感が無いような状況であり、[張飛][趙雲]など大したことはないと、

そう言ってしまっているのでした。


《零陵》の武将である[刑道栄]は、堂々とやってきた『劉備軍』に立ち向かうのですが、

あっという間に[諸葛亮]の手の平で踊らされる事となり、

[刑道栄]は捕らえられ、[諸葛亮]の執り成しで、命は救われるのでした。

しかし、主君である[劉度]を売り渡たし、開城させると言うのですが、

そんなものはお見通しで、逆に泳がせようとするのです。



このエピソードの注目点
“[劉備]の《荊州》争奪”



《荊州》という土地は、そもそも、『漢王朝』のものであり、

そこを支配した[曹操]が、この当時の領主たちに治めさせているという構造です。

ここを自分達の支配下として、最終的に『漢王朝』に返すために、

[劉備]達は奔走するのです。

つまり《荊州》の領主たちは、[劉備]にとってこの時は敵なので、

悪く描かれがちです。特に[韓玄]については、暴君であったのは完全に創作です。

この話で登場する[劉度]は、まだましな描かれ方ではありますね。


注目の人物



[劉度]
吹替:星野充昭

西暦?年〜?

《荊州・零陵》の太守で、元々は[曹操]の命令で任命されていました。

元々は[曹操]配下でもあり、[劉備]に敵対することになり、

あまり良い描かれ方をされていませんが、

彼自身は[劉備]に降伏したことで、息子の命を救われた他、

《零陵》の太守としての任務を続けることになるのでした。

そのため、このドラマでの扱いは悪い方ではないですね。

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三国志 Three Kingdoms 第49話 「趙雲、桂陽を取る」
三国志 Three Kingdoms 第49話 「趙雲、桂陽を取る」

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