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第三部「赤壁大戦」第三十九集
時代背景:208年(建安13年)
[諸葛亮]は[周瑜]と[孫権]の説得に成功し、
[周瑜]は大都督となって、『赤壁』へと戦いへと赴くのです。
それには妻である[小喬]も付き従うのだとか。
[諸葛亮]もこの戦に臨む事になり、[周瑜]の命令で遣わされた、
彼の兄の[諸葛瑾]を向かわせ、『孫呉』に仕えるように誘うものの、
それは失敗。[周瑜]は明らかに、[諸葛亮]を警戒しています。
そして舞台はいよいよ《赤壁》に。
[周瑜]と[諸葛亮]は手を組み、『曹操軍』を打ち倒す方法を考えます。
明らかに数では劣勢の状況。
[周瑜]は『官渡の戦い』よろしく、兵糧攻めを提案します。
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[諸葛亮]は軍を率いて、早速出陣するものの、
実は[周瑜]は、彼の事を快く思っておらず、
わざと危険な任地に赴かせて、死なせるように手はずしていたのでした。
しかしながら、あらゆる手で[周瑜]を挑発する[諸葛亮]は、
[周瑜]は水上戦しかできないと言い、これに怒った[周瑜]は、
自らが兵糧攻めをしようとするのでした。
今は、[周瑜]と[諸葛亮]が争っている場合ではないと、[諸葛亮]は忠言し、
[曹操]は間違いなく兵糧をしっかりと固めていると判断し、
この策は行われませんでした。
やがて『曹操軍』が船とともに襲来し、[周瑜]は危険を承知の上で、
この軍の姿を偵察に向かいます。
その『曹操軍』の軍船は圧倒的な数で、
早速とばかりに陽動を仕掛けた攻撃で、新しくできたばかりの船団は、
まだ大した事は無いと判断されるのです。
一方で『曹操軍』の[蒋幹]は、[周瑜]を簡単に降伏させられると提言し、
[周瑜]の元へと敵意なしとやってくるのです。
しかし策略には策略でと図った[周瑜]は、
親友との再会を祝うというふりをして、酒宴で酔いつぶれたふりをします。
[小喬]の剣舞に合わせて、酒を呑むという酒宴の席で、
[蒋幹]を酔わせてつぶすのではなく、自分が酔いつぶれたふりをする[周瑜]。
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そして彼が寝込んだ隙に、わざと盗ませるつもりで用意した手紙を、
[蒋幹]に盗ませる[周瑜]。
このエピソードの注目点
「[周瑜]が[諸葛亮]に抱く嫉妬心」
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「[周瑜]は自分に奢って、[諸葛亮]の才能に嫉妬しているのではないか」
という[小喬]の発言どおり、[周瑜]は、[諸葛亮]がやってくるまでは、
『孫呉』で最も知略に優れた人物とされていたので、
それは上回り、自分を手玉に取るかのような[諸葛亮]は気に入らないでしょう。
[魯粛]がいなければ[孔明]は生きていられなかったと言われますが、
後の憂いを絶とうとした[周瑜]の判断は、《江東》側としては、
判断に間違いは無かったのです。
注目の人物
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[小喬]
吹替:園崎未恵
西暦?年〜?年
花も恥じらう二喬姉妹の妹で、[周瑜]の奥方であるという[小喬]。
[小喬]の本名は伝わっておらず、あくまで[周瑜]の奥方が、
『喬家』の美人姉妹の妹であったから、ということに由来します。
『赤壁の戦い』において、[周瑜]が一転して戦いに臨むことにしたのは、
この[小喬]、更に姉の[大喬]を[曹操]がはべらせようとしていたからと、
そう[諸葛亮]に言われたため、というのが有名です。
また作品によって変わってはきますが、
[周瑜]との間の子に、[周姫]という娘がいたとも言われています。
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