三国志 Three Kingdoms 第38話 「周瑜を怒らせる」


三国志 Three Kingdoms 第37話 「儒者たちとの舌戦」



「[曹操]は“江東の二喬”さえ手に入れればそれで満足なのです。
二人の姉妹を船に乗せて差し出せば、《許都》へと大人しく帰るのですから。」

―[諸葛亮 孔明]



第三部「赤壁大戦」第三十八集

時代背景:208年(建安13年)


《江夏》まで逃れてきた[劉備]は、[孫権]と盟を結ぶために、

[諸葛亮]を《江東》へと遣わすのでした。

しかし《江東》の者達は『曹操軍』と戦うことを恐れ、

[諸葛亮]を敵対視さえし出すのです。

とはいえ彼によれば、[曹操]を倒すための策があるのだと言うのでした。


それは『曹操軍』は北方の出がほとんどであり、

南の土地に慣れておらず、また水軍も《江東》には敵わず、

元々が降伏兵であるため、倒す策は十分にあるというのです。


しかしながら、『孫権軍』では、主戦派と降伏派で対立となりました。

そんな中、大都督である[周瑜]の元に、

穏健派である[張紹]らが集まり、彼を説得しようとします。



一方、武人である[黄蓋][韓当]らは徹底抗戦を主張。

《江東》に誇りがある彼らは、戦いを挑もうと考えており、

[周瑜]はどちらでもあるというようにはぐらかします。

これも交戦派と和睦派で内乱が起こらないようにするため。

[諸葛瑾]らもこれを危惧しており、


とにかく「明日主君にお会いして決める」で帰す[周瑜]。

実際、彼も戦うか否かで迷っているのでした。


そして最後にやってきたのが、[魯粛]と[諸葛亮]。

[周瑜]も彼らの前では本心である、降伏を主張します。

『漢王朝』の名の前に屈して、後の世の笑いものにならないためにと、

そういう主張なのでした。


そんな中、[諸葛亮]は、[周瑜]を揺さぶるために、

[曹操]が、二喬姉妹の[大喬][小喬]を狙っており、彼女らを差し出せば、

《江東》に戦はやってこないと言うのです。

しかしながら妹の[小喬]は、[周瑜]の妻であり、

この発言は[周瑜]を怒らせる事になるのでした。


[曹操]が二喬姉妹を[周瑜]の妻と知ったら、一層狙ってくると言い、

つまり人妻を好んでいる事に、ますます[周瑜]は怒る事になるのでした。

[曹操]は生かしてはおけないと、そう言い放つのです。


ただ[魯粛]は、[諸葛亮]の揺さぶりを分かっていたようですが。


そして軍議に出席する事になった[周瑜]ら。

[周瑜]は一点して交戦を主張するようになり、様々な『曹操軍』の失態を述べ上げ、

[孫権]を推そうとします。




家臣達の前で[孫権]は、刀で机を斬り、

降伏を口にしたものは、こうすると言い放つのでした。


そして戦いはいよいよ《赤壁》の地へと移っていきます。

[周瑜]は[諸葛亮]の事を警戒し、危うい関係のままに―。




このエピソードの注目点
「[周瑜]が抗戦を臨むまで」



武人であり智者でもある[周瑜]も、

《江東》に戦を持ち込むわけにはいかないと、『曹操軍』の前に降伏を考えます。

もっとも、[諸葛亮]なしで《江東》にやってきても、

[劉備]らが協力を得られることはなかったでしょう。

しかしそこは[諸葛亮]であり、出した作戦は、

[曹操]が《江東》の“二喬”を狙っているというもの。

そのうちの妹の[小喬]は[周瑜]の愛妻であり、

この話を持ちだされた途端に彼は、[曹操]に対して激怒するというもの。

これは創作物での話ではありますが、

[周瑜]に重い腰を上げさせるきっかけになったようで。


注目の人物



[周瑜 公瑾]
吹替:小山力也

西暦175年(憙平4年)〜210年(建安15年)

『孫呉』の大都督として、その知略と武勇を知らしめた人物の一人。

[孫策]と共に義兄弟の契りを交わしており、彼とともに《江東》を制覇。

[孫策]の死後も、弟の[孫権]を支え続け、

[諸葛亮]と連合して『赤壁の戦い』に勝利した事が有名です。

ただ[諸葛亮]の有能ぶりに警戒を示した[周瑜]は彼を敵対視し、

いずれ『孫呉』の強大な敵になるであろうと、葬り去ろうと考えていた、

と言われています。


『三国志演義』では、[諸葛亮]の敵とみなされることもあってか、

損な役回りをさせられており、

特に《荊州》を巡っての争いでの扱いは不遇の一言。


とはいえ、こちらのドラマでは、知略も優れていますが、

武人としての[周瑜]としての側面が強く描かれています。


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三国志 Three Kingdoms 第39話 「蒋幹、手紙を盗む」
三国志 Three Kingdoms 第39話 「蒋幹、手紙を盗む」

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