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第ニ部「中原逐鹿」第二十七集
時代背景:200年(建安5年)『官渡の戦い』
[袁紹]は70万もの大軍を率いて、[曹操]と正面対決をする決意をし、
その決戦の地を《官渡》と定めます。
一方で彼の軍師達の対立は深まっており、投獄されている[田豊]は、
[袁紹]に危険が迫っているよう忠告しようと動き出します。
これには[曹操]も警戒し、戦うか、和睦をするかを、
家臣たちに遠慮無く熟慮させます。
そんな中、[荀ケ]は[袁紹]の事をよく知っており、
彼の軍など見掛け倒しであり、[関羽]の武勇を例に、武将達の士気を上げます。
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[曹操]も[袁紹]は見掛け倒しと思っており、
この戦いは8年も前から想定していたと言い、さらに7万の精兵で70万を、
十分に打ち破れると言い放つほど。
更に兵糧に限りもあるので、15日で決着をつける短期決戦に。
《官渡》の地までやってきた[曹操]。
茶を振る舞うと言い、[袁紹]を呼び寄せ、陣中でくつろいで話をし出す始末。
これが、直接の攻撃ではなかったものの、罠であると[袁紹]は知らずに。
実は帝を連れてきていた[曹操]は、和睦をしようと言い出すのです。
ただ帝の事を、“特別な品”と言ってしまうのはいかがなものか。
[曹操]は昔からずる賢く、頭が働くという[許攸]。
[曹操]は、かなり下手に出て、あたかも『袁紹軍』に恐れをなして、
降伏しようかというほど。
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しかし、一向に話ばかりしていて、動きを見せない両者に、
[許攸]ら家臣達はいらだちを感じはじめていました。
更に宮廷の女官達まで使って、兵士の士気を下げようとする行為に、
[許攸]はいい加減攻撃を開始しようとしますが、
その時すでに遅く、[曹操]の策はなっていました。
[袁紹]の危機を感じて、家臣達が行動し始めた時、
『曹操軍』の奇襲が開始されていました。
そして、『官渡の戦い』が始まります。
いきなり日の光の逆光の策に陥れられた『袁紹軍』の先鋒が一気に壊滅。
しかし、さすがは『袁紹軍』の70万の軍であり、
戦車隊などをけしかけて来て、これらも『曹操軍』と激突します。
ですが戦いは、『袁紹軍』が力押しと数で攻めている事に対して、
『曹操軍』は様々な策などを使って戦いに対抗しており、
じりじりと、戦況は変わっていきます。
このエピソードの注目点
「《官渡》の一大決戦」
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ちなみに、[曹仁]によって、采配されている武将達の名は、
[夏侯惇][夏侯淵][張遼][楽進][于禁][徐晃]と、
いずれも『曹操軍』、後の『魏軍』の将軍たちが現れており、
これから彼らの活躍が期待されている事がわかります。
そして激しい激突で描かれていく『官渡の戦い』の行方は?
とにかく第二部最大の激突となるので、激しく描かれます。
注目の人物
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[袁紹 本初] 154年(永興2年)?〜202年(建安7年)
吹替:菅生隆之
『後漢』の末期では《河北》で最大の勢力を持っていた、『袁氏』の長。
[曹操]と親交が深かったと言われており
元々名家出身であったにも関わらず謙虚であったので、慕われていました。
優柔不断で、頑固で疑り深い、と[曹操]には判断されており、
確かに《幽州》の[公孫サン]を倒すまでは最強の勢力でしたが、
[曹操]の勢いと大胆さには、かなわなかったようです。
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