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第ニ部「中原逐鹿」第二十六集
時代背景:200年(建安5年)
[関羽]は、[劉備]の元に馳せ参じる道中、盗賊に襲われ、
それを救ったのが、かつての『黄巾党』の武将であった[周倉]という人物でした。
かねてから[関羽]の武勇を知っていたという[周倉]は、
[関羽]の手下になりたいと言い出すのです。
そんな[周倉]が案内したのは、小城。
どうやら、非常に強い者に占拠されてしまっていたというのですが、
その正体は[張飛]。
まだ[関羽]が[曹操]の手下にいると思っている[張飛]は、
いきなり襲いかかってきてしまいますが、
事情を話すと何とかなると思いきや、『曹操軍』の追っ手が。
[関羽]は、追っ手の『曹操軍』の、[蔡陽]を一刀のもとに斬り伏せ、
『曹操軍』を追い返し、[張飛]と念願の再会を果たすのでした。
[劉備]は、[関羽]と[張飛]が再会したことを知り、
それを[袁紹]も知り、彼らさえも手中に治めたがる[袁紹]。
彼らを安心させるために、[劉備]を行かせる[袁紹]ですが、
もう戻ってはこないのではないかと判断する軍師の[許攸]。
[許攸]には全てを明かした[劉備]は、
[袁紹]の元にはやはり戻ってはこないそうですが、
ここで[許攸]は、《荊州》の領主である[劉表]に頼るべきだと助言するのです。
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そして[劉備]と再会する前に、[関羽]と[張飛]が出会ったのは、
[公孫サン]からの支援を受けた、勇将である[趙雲]で、
彼は、[関定]という人物の元に身を寄せていました。
[関定]は、[関平]を養子にする事を頼み込み、
三つの掟と共に、ここで彼の後継となるのですが―。
[劉備]が近くまで来ていると知った[関羽]らは、いてもたってもいられず、
[劉備]の待つ城まで駆けつけ、
こうして、三兄弟は再会をするのでした。
[劉備]はここから先への道のりを、《荊州》へと定め、
すぐにも行動を開始しようとするのです。
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[劉備]が去った事を知った[袁紹]ですが、
彼の敵はあくまで[曹操]とし、息子たち三人を呼び寄せ、
決戦への備えをするのです。
しかし[袁紹]の息子たちは、父親に気に入られたいがばかりに、
勇んでいがみあってばかりで―。
そして物語は、《江東》でも展開。
[孫策]は、朝廷が自分を警戒している事を知り激高し、
自分たちも[曹操]の隙を狙おうします。
ただ、どうあっても物語は、第二部の最大の決戦地である《官渡》へと向かうのです。
このエピソードの注目点
「義兄弟の再会と新たな展開」
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このエピソードで[曹操]との戦いで離散した、[劉備]三兄弟が、
ようやく再会することになります。
実際はこんなにトントン拍子で再会ができたわけではないのですが、
彼らは[袁紹]らの元から離れ、《荊州》へと向かいます。
このような義理人情の物語がある中でも、
[曹操]と[袁紹]が正面からぶつかる時は迫ってきており、
ただそれを一気に見せずに、じっくりと足を踏んでいくところが、
このドラマらしいと言えましょうか。
注目の人物
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[関平] ?年〜219年(建安24年)
吹替:名村幸太郎
[関羽]の子として知られ、実在の人物ではあるものの、
実子なのか養子なのかは、その物語によって違う人物です。
また、字も不確定なのですが、このドラマでは“定国”とされ、
このドラマでは、このエピソードで[関羽]の養子となっています。
[関羽]を実父のように慕っていくうちに、立派な武将に成長して、
活躍をするという脚色がされていますが、
史実では、“関羽伝”にわずかな記述があるのみです。
ただ、史実では実子になっています。
『三国志演義』では、『博望坡の戦い』『新野の戦い』『荊州の戦い』などで、
活躍をしていくことになります。
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