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第ニ部「中原逐鹿」第二十五集
時代背景:200年(建安5年)
[関羽]が[劉備]の生存を知った今、[曹操]の元を離れる決意をした彼。
しかし[曹操]がそんな事を許すはずもなく、
許可を求めようとしても門前払いという始末。
仕方なく[関羽]は、配下の[孫乾]と共に、きちんと[曹操]の贈り物を返しはしたものの、
置き手紙だけ残して出ていってしまいます。
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いつかはこういった時が来るだろうと思っていたらしい[曹操]は、
とても残念な様子を見せますが、
[程c]ら家臣は、[関羽]ほどの豪傑が野放しになっている事を危惧し、
始末しようとも動き出すのです。
わざわざ彼を見送りにまで来る[曹操]。
約束は守っている彼ではありますが、やはり惜しいという姿で見送るのでした。
[関羽]を惹きつける[劉備]こそが恐ろしいとまでいう始末。
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一方、どこぞやの小城へと押し入った[張飛]はやりたい放題で、
地方で治めて偉ぶっていましたが、それは[劉備]達に会えない事への苛立ちか。
[関羽]が[曹操]の配下に収まっていることは、信じられないという様子で、
そこら中に苛立ちをぶつけてしまう始末。
一方で[関羽]は、幾つもの関をくぐり抜けて、
[劉備]の元へと向かう、“関羽千里行”が始まりました。
[曹操]配下の関の者達は、[曹操]を裏切ったものと判断し、
次々と関を塞いで襲いかかってきます。
戦いたくも、殺めたくもない戦いを続けながらも、[関羽]は、
何箇所もの関所を突破。
死地を突破して、あと少しというところまでやって来た所、
立ちはだかったのは、[曹操]の従兄弟にして、信頼深い将軍、
かの[夏侯惇]が立ちふさがるのでした。
[顔良]と[文醜]を倒した、お前と競ってみたかったという[夏侯惇]は、
[関羽]との一騎打ちを申し込むのでした。
[関羽]と戦った武将が、ほとんど一合で倒されている中、
この[夏侯惇]は、何合にも渡るぶつかり合いを見せ、
互角にも等しい戦いをしてみせます。
しかしそこに[曹操]の書簡が届き、更に間に[張遼]が入り、
ここでも難関を突破できたとおもいきや、次に現れたのは山賊。
果たしていかになるものやら。
このエピソードの注目点
「関羽千里行」
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[関羽]は[曹操]配下にいたものの、それは[劉備]の生存を知るまでのこと。
今まで悪人らしい姿という風であった[曹操]も、
こうした男の約束はしっかりと守ります。
しかし[関羽]が行く道のりは長く、
配下といっても、[孫乾]くらいしかいないのです。
更に[劉備]の二人の妻を連れての行軍となるため、それは困難な道程として描かれます。
ただ、これは[関羽]伝説の一つであり、
実際はここまでの行軍ではなかったと言われています。
本当にこの関を通って行くとなると、相当な回り道になってしまうそうで。
注目の人物
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[夏侯惇 元譲] ?年〜220年(延康元年)
吹替:鈴森勘司
[曹操]の従兄弟であり、彼に全幅の信頼を置かれていた武将。</strong>
ただこのドラマでの活躍の場は少ないのですが、
それは[夏侯惇]が、武将であったからで、政治的な活躍が少ないからでしょう。
若い頃は気性が荒かったものの、清潔でつつましやな人物であり、
[曹操]からも信頼厚く、[呂布]との戦いの他、
『博望坡の戦い』などで活躍をしています。
こちらのドラマでも、[関羽]と互角の勝負をしている、
ということや、[関羽]自身も、“夏侯”の旗に対して一目置く描写があるなど、
ただならぬ武将の登場であるという事は分かるのです。
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