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第ニ部「中原逐鹿」第二十ニ集
時代背景:200年(建安5年)『徐州の戦い』
[曹操]の暗殺事件は露見し、彼に毒を持った[吉平]は許されず、
彼は拷問などこれ以上させんと自殺。
そしてその暗殺事件の首謀者である、[董承]、
更には[献帝]の命は、[曹操]に握られてしまいます。
暗殺計画の全てが明らかになった今、[献帝]をいつでも始末できる、
そんな状況でしたが、帝を処刑することまではできない、という[曹操]。
[献帝]の犯行とは断言していないものの、全て見透かしているらしいとのこと。
[献帝]の皇后をも殺害した[曹操]ですが、
ふてぶてしくも、自分の娘の[曹貴人]を皇后としてしまい、
いよいよ彼の手中の王朝が展開していきます。
そして次に[曹操]が動き出した先は《徐州》。
[袁紹]との対決の前に、[劉備]との決着を望むのです。
[袁紹]に勝つためには、まず《徐州城》をとらねばならないと、
ついに[劉備]と本格的に対峙するのです。
[劉備]は、[袁紹]と組んで、背後から都の《許昌》を奪い取ってしまうと、
そういった作戦だったのですが、
[袁紹]は、自分の息子の病気で気が気でなく、
こんな時に戦ができないと、そう言い放ち、出陣しないのです。
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[許攸]は声高らかに[袁紹]の愚かさを叫びますが、
何と見放された[劉備]。
持久戦になっていた《徐州》では、決着の付かない戦いに焦りが生じ、
更には[袁紹]が出兵しないことで、
自分たちで何とかするしか無いと判断する[劉備]達。
しかし、わざと夜襲させるという、[曹操]らの策に簡単にはまってしまい、
もぬけの殻になっている、それも罠だらけの陣に踏み込んでしまう『劉備軍』。
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これが機であるとばかりに、[劉備]の軍は徹底的に攻められ、
何とか[劉備]は逃げ切る事に成功するも、
[劉備]、[張飛]、[趙雲]、[関羽]とはぐれてしまい、
ただ単騎で逃げるという逃避行に。
もはや絶望と、思わず身投げしそうになったところを、
[袁紹]のところの[許攸]に救われるのです。
このエピソードの注目点
「絶望下の[献帝]と[劉備]」
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[曹操]は自らを暗殺しようとした罰として、帝の皇后を殺害。
更には、その手先であった[劉備]を《徐州》で徹底的に追い詰める。
それだけの人物として[曹操]が描かれます。
もし[曹操]がある程度までも人格者でなければ、
この暗殺計画で[献帝]もろとも王朝は滅ぼされ、
もし[曹操]が甘すぎて、帝の行為を許していれば、
別な形で暗殺されていた。と取れるのです。
はてさて、誰が全員で誰が悪人かなど、歴史の人物には言えませんので。
注目の人物
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[曹貴人(献穆皇后)]
西暦?年〜260年(甘露5年、景元元年)
吹替:鍋田カホル
[曹操]の娘であり、[曹丕]の妹に当たる人物。長女かどうかは不明です。
この話では、残酷なまでの[曹操]により、[献帝]の妃を殺害し、
代わりに皇后にたてられる、という展開になっています。
この時に、妹も同時に妃になっているとのこと。
彼女のことはしばらく登場してきませんが、
[曹操]の血族が皇族に入ったことにはなります。
それ故、彼女の兄[曹丕]が、『魏』王朝を開くという段になって、
猛烈に反対した時の出来事が有名です。
このドラマでは詳しく描かれていませんが、
斜陽の曹一族の時代となる、『魏』の四代皇帝[曹髦]の時代まで生きているのです。
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