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第ニ部「中原逐鹿」第二十集
時代背景:時代背景:198年(建安3年)
[献帝]は[曹操]を一世一代の危険人物とみなし、
暗殺と同時に、次の時代を引っ張るのは[劉備]と託すのでした。
[曹操]はすでに[劉備]の動きを把握していたものの、
配下である[許チョ][張遼]らにはあえて攻撃をさせず、
あえて、[袁術]討伐を実行させるのでした。
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[袁術]の帝国はもはや末期の状態であり、[劉備]からも、名誉のために、
自決することを薦められてしまうほどの始末。
そして、結局それを実行に移してしまい、彼の王朝は簡単に滅ぶのでした。
[劉備]は[袁術]の持っていた“伝国の玉璽”を受け渡すものの、
[曹操]の兵を奪い、《徐州》を取り戻すということをし出し、
彼を激怒させるのですが、これがたたってか、突然倒れてしまう[曹操]。
[曹操]の主治医である[吉平]という人物によれば、
彼の頭痛などの病は持病であり、頭に血が上ってしまうと倒れるほどのものだとのこと。
[劉備]は《徐州》の地を得て、またこの隙を狙って、
天下最大の勢力と成っている[袁紹]も動き出そうと考えていました。
檄文がくだされた事によって、[曹操]は[袁紹]と対決する事を望みます。
[曹操]は、[荀ケ]によれば、あらゆる面で[袁紹]に勝っていることを指摘。
この話を聞いた[献帝]は、[曹操]を始末できると判断する[董承]の言葉に乗せられ、
彼は、[曹操]主治医の[吉平]に毒を盛るという作戦に出ます。
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しかし、いざ[曹操]に毒薬を盛るという段になって、
油断も隙もない彼は、その暗殺計画などすでに見抜いており、
[吉平]は、捕らえられてしまうのでした。
そしてこれは彼だけでなく、首謀者の[董承]、さらには[献帝]、
[劉備]をも危険に晒すことに―。
このエピソードの注目点
「[曹操]という人物の立場」
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[曹操]といえば、『三国志』の物語では仇のような悪人であることが多く。
最も[曹操]が冷酷に描かれるのは、この第二部とも言えるでしょう。
しかしすでに『後漢』王朝は崩壊しているも同然であり、
次の時代を担っていけるのは、無理な仁義を推し進めるでもなく、
野望を持った群雄諸勢力を抑えるほどの、力を持った人物。
それこそ、皇帝の背後で睨みを効かせられる人物でしかないはずです。
注目の人物
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[程c 仲徳]
西暦:141年(永和6年)〜220年(黄初元年)
吹替:小野健一
[曹操]配下の三大軍師の一人で、その中では最期まで[曹操]を支え続けた人物。
当初の名前は[程立]という名で、地方役人でしたが、
[曹操]が《エン州》を支配した時に彼に仕える事になりました。
その後、[呂布]との戦い、[袁紹]との戦いなどで活躍をしていき、
『赤壁の戦い』の後にまで、彼を支え続けました。
[曹操]には最期まで頼りにされていたようで、
やがて引退するようになりますが、[曹操]の嫡男である[曹丕]にまで、
仕えていたほどの人物なのです。
ただ頑固で融通が効かないところもあったと言われており、
仲が悪かった人も多いようです。
このドラマでは、[荀ケ]と意見を戦わせているシーンがありますが、
[曹操]はその論戦から活路を見出すなど、あえて衝突させている、
そんなようにも思えます。
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