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第ニ部「中原逐鹿」第二十集
時代背景:時代背景:198年(建安3年)
帝[献帝]に認められ、信頼されることとなった[劉備]。
しかしそれを[曹操]は気に入らず、
いよいよ[曹操]と[劉備]の関係が危うくなってきました。
そんな中、[献帝]は[劉備]を呼び寄せ、
[曹操]への密命を託すこととするのです。
そして、[曹操]が[董卓]よりも何倍も狡猾であり、危険であるという人物とし、
泣く泣く[劉備]へと密書の届けを予告します。
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そして[劉備]に対して血の密書を書いた[献帝]は、
妃にそれを渡し、[董承]という人物に[劉備]へとそれを届けさせるのです。
もちろんそれは、[曹操]を暗殺するための密命でした。
しかし彼の墓参りを怪しんだ[曹操]は、それを見破ってか、
気付かずか、[劉備]を自分の元へと呼び寄せ、
彼と酒の会話をするのです。
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そして[曹操]が問うは、この天下に最もふさわしい英傑と呼べるのは誰か。
[劉備]は、[袁紹][袁術][劉表][馬騰][孫策]などの名を挙げるものの、
[曹操]はこれらを鼻で笑って全て否定し、
天下の英傑と呼べるのは、自分と[劉備]だけというのでした。
その場は譲歩し合いで終わったものの、
[献帝]から[劉備]へと密書がもたらされるのでした。
それはもちろん[曹操]の暗殺でした。
候をそうして、[袁術]に対して[献帝]は、討伐命令を下します。
それに推薦されたのは[劉備]。
もはや彼のことを期待しきっている[献帝]は、彼ならば[曹操]を倒せると、
そう思い込んでしまっているようですが―。
このエピソードの注目点
「帝の判断とは?」
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[献帝]は[董卓]よりも恐ろしいと[曹操]を危惧。
そして命がけの密書で[劉備]を頼りにします。
しかしこれは正しい判断だったのか。
確かに[劉備]は、人徳もあり、漢の王朝の血族でありましたが、
戦力に乏しく、とても[曹操]と張り合えるものではないのです。
まだ若い[献帝]は、狡猾な[曹操]を知った気でいましたが、
彼はこの時代にはあまりにも狡猾すぎる存在でもあったようです。
そしてそもそも[曹操]を暗殺しようとする判断が、正しいものであったのか。
それを考えると、[献帝]の判断が正しかったかどうか危ういものなのです。
[曹操]を引き立てたいから、というわけではなく、
狡猾な彼を暗殺するには、毒を盛る程度など、浅はかで単純すぎた。
と、そう言いたいらしいですね。
注目の人物
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[董貴妃]
西暦?年〜200年(建安5年)
吹替:鍋田カホル
[献帝]が《洛陽》へと帰還してきて、その時に彼を救ったとされる、
[董承]の娘になり、[献帝]の后となりました。
しかし父親である[董承]が[曹操]の暗殺計画を企て、
それが失敗したために、ほとんど見せしめとして殺害されてしまうという、
かわいそうな人物。
[献帝]にしてみれば屈辱的出来事ですが、
そもそも彼や、父の[董承]が[曹操]を、浅はかな計画で暗殺しようとなど、
考えなければよかったのでは?
ついでに、次の[献帝]の妃に[曹操]にされた、
[曹貴人]と吹き替えの人が同じなのは、
何かの皮肉でしょうか?
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