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第一部「群雄割拠」第十五集
時代背景:西暦196年(建安元年) 『呉郡の戦い』、197年(建安2年) [袁術]の皇帝即位
《徐州》を手に入れた[呂布]は、『袁術軍』が攻めてきても、
宴を[劉備]に招き、余裕な状況を見せていました。
そこで、[袁術]配下の[紀霊]が現れ、
[袁術]と[呂布]が組んでいるのではないかと警戒する[張飛]。
一色触発の状況となる中、にらみ合いが続きます。
しかしここに[呂布]が間に入り、
“轅門に戟を射る”という有名な出来事をするのです。
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『袁術軍』と和睦をすることを賭け、
[呂布]は百二十歩の距離で、自分の愛用の“方天画戟”を的に弓を射抜き、
自分の実力を見せつけるのです。
この出来事に怒り心頭した[袁術]。
そんな一色触発の状況下現れたのは、小覇王とあだ名される[孫策]。
彼は[袁術]の命令の城攻めを、6日で完了し、[袁術]に気に入られるのでした。
しかし、[孫堅]の時代の配下からの[黄蓋]は、
[袁術]に[孫策]が養子にされる事を危惧。
父の命日に墓参りにやってきた[孫策]は、その地で義兄弟である[周瑜]と再会します。
[周瑜]は[孫策]の父の大業を成し遂げる準備を整えてきており、
意気投合した二人は軍と共に[袁術]からの独立を宣言。
喉から手が出るほど[袁術]が欲しがっている、“伝国の玉璽”を引き渡し、
家族を救いに《呉郡》へと向かうという名目で、
[程普][黄蓋][韓当]らと共に[孫策]は独立するのでした。
“伝国の玉璽”に目が眩んだ[袁術]は皇帝を名乗るように薦められ、
《許昌》の事など知らないとも言えるように、皇帝を名乗ってしまいました。
これが、[曹操]、[袁紹]らに逆賊と見なされる大義名分を与え、
自らの首を締める事なども知らずに―。
このような事など、鼻で笑う[曹操]。
もはや彼らにとっては、[袁術]勝ったも同然な行為だったようです。
このエピソードの注目点
「[孫策]の独立」
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この物語で再び登場する事となる後の『呉』の勢力。
父[孫堅]が死去したものの、後継である[孫策]は、
いつしか“小覇王”とも呼ばれるようになるほどでした。
そして[周瑜]を伴っての、[袁術]からの独立。
これによって、[孫策]は、後に『呉』となる領地を広げていくわけです。
更には[袁紹]は“玉璽”を手に入れての勝手な皇帝宣言。
しかし群雄勢力がまだ大勢いるというのに、そんな事は自分の首を締めるだけなのです。
注目の人物
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[孫策 伯符]
西暦:175年(憙平4年)〜200年(建安5年)
吹替:阪口周平
後に『呉』と呼ばれる国の領土の礎を築いた[孫堅]の長男であり、
父親の暗殺後、その後継となり、領土の回復で名を馳せました。
領地を一気に失ってしまったために、[袁術]の配下で収まっていましたが、
それも、[周瑜]や、父親の腹心であった武将たちと共に独立。
再び『孫呉』の力を取り戻すべく動くのです。
ただ、彼自身、血気盛んな性格であったために、
ある人物を殺害してしまい、それにより、恨まれるということに。
血気盛んな性格は、『孫呉』の伝統のようです。
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