三国志 Three Kingdoms 第15話 「轅門に戟を射る」


三国志 Three Kingdoms 第14話 「呂布の裏切り」



「ここから門まで少なくとも120歩。
私が戟の枝鍔を射たら、和睦なされよ。
射抜けなかったら、殺しあうがいい。
戦うも和睦するも天意。」

―[呂布 奉先]



第一部「群雄割拠」第十五集

時代背景:西暦196年(建安元年) 『呉郡の戦い』、197年(建安2年) [袁術]の皇帝即位


《徐州》を手に入れた[呂布]は、『袁術軍』が攻めてきても、

宴を[劉備]に招き、余裕な状況を見せていました。

そこで、[袁術]配下の[紀霊]が現れ、

[袁術]と[呂布]が組んでいるのではないかと警戒する[張飛]。

一色触発の状況となる中、にらみ合いが続きます。


しかしここに[呂布]が間に入り、

“轅門に戟を射る”という有名な出来事をするのです。



『袁術軍』と和睦をすることを賭け、

[呂布]は百二十歩の距離で、自分の愛用の“方天画戟”を的に弓を射抜き、

自分の実力を見せつけるのです。


この出来事に怒り心頭した[袁術]。

そんな一色触発の状況下現れたのは、小覇王とあだ名される[孫策]。

彼は[袁術]の命令の城攻めを、6日で完了し、[袁術]に気に入られるのでした。


しかし、[孫堅]の時代の配下からの[黄蓋]は、

[袁術]に[孫策]が養子にされる事を危惧。

父の命日に墓参りにやってきた[孫策]は、その地で義兄弟である[周瑜]と再会します。


[周瑜]は[孫策]の父の大業を成し遂げる準備を整えてきており、

意気投合した二人は軍と共に[袁術]からの独立を宣言。

喉から手が出るほど[袁術]が欲しがっている、“伝国の玉璽”を引き渡し、

家族を救いに《呉郡》へと向かうという名目で、

[程普][黄蓋][韓当]らと共に[孫策]は独立するのでした。


“伝国の玉璽”に目が眩んだ[袁術]は皇帝を名乗るように薦められ、

《許昌》の事など知らないとも言えるように、皇帝を名乗ってしまいました。

これが、[曹操]、[袁紹]らに逆賊と見なされる大義名分を与え、

自らの首を締める事なども知らずに―。


このような事など、鼻で笑う[曹操]。

もはや彼らにとっては、[袁術]勝ったも同然な行為だったようです。




このエピソードの注目点

「[孫策]の独立」



この物語で再び登場する事となる後の『呉』の勢力。

父[孫堅]が死去したものの、後継である[孫策]は、

いつしか“小覇王”とも呼ばれるようになるほどでした。

そして[周瑜]を伴っての、[袁術]からの独立。

これによって、[孫策]は、後に『呉』となる領地を広げていくわけです。

更には[袁紹]は“玉璽”を手に入れての勝手な皇帝宣言。

しかし群雄勢力がまだ大勢いるというのに、そんな事は自分の首を締めるだけなのです。



注目の人物



[孫策 伯符]
西暦:175年(憙平4年)〜200年(建安5年)

吹替:阪口周平

後に『呉』と呼ばれる国の領土の礎を築いた[孫堅]の長男であり、

父親の暗殺後、その後継となり、領土の回復で名を馳せました。

領地を一気に失ってしまったために、[袁術]の配下で収まっていましたが、

それも、[周瑜]や、父親の腹心であった武将たちと共に独立。

再び『孫呉』の力を取り戻すべく動くのです。


ただ、彼自身、血気盛んな性格であったために、

ある人物を殺害してしまい、それにより、恨まれるということに。

血気盛んな性格は、『孫呉』の伝統のようです。


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三国志 Three Kingdoms 第16話 「呂布、徐州牧となる」
三国志 Three Kingdoms 第16話 「呂布、徐州牧となる」

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