![]() ![]()
第一部「群雄割拠」第十四集
時代背景:西暦196年(建安元年) [呂布]による《徐州城》攻撃
[献帝]は[曹操]によって保護され、天下に対して彼の影響が強まる中、
《徐州》にて未だ同盟関係ということになっている、[劉備]と[呂布]。
[劉備]は“徐州牧”となり、[曹操]がしたためた[袁術]討伐の命令に従い、
戦いへと向かいますが、
その留守を守るため、不安ながら、頭に血が上りやすい[張飛]を《徐州》の守りにつかせます。
禁酒令を出すという命令をつけて。
[袁術]は、自分に向かって[劉備]が攻めてくる事を知り、激高するものの、
[呂布]と内通して、留守の隙に《徐州》を奪ってしまう提案がされます。
[呂布]にとっても、自分の居城となる場所は必要であり、
[陳宮]の提案で様子を見ることに。
![]()
しかし軍令を出して、酒を禁じたにも関わらず、
[張飛]は酒をやりだしてしまい、簡単に[劉備]の言伝を簡単に破るのでした。
そこで酒が飲めないという[呂布]の従兄弟の兵士を、
怒って、百叩きの刑で痛めつけてしまったため、
その[曹豹]は、[呂布]にそれを言いつけ、
やはり侮辱されたと怒った[呂布]は、[張飛]が酒をやっているという事、
[劉備]がいないことも知り、彼は《徐州》を奪うことを決意します。
そして[張飛]が酔いつぶれているところ、
《徐州城》はいともたやすく[呂布]に奪われてしまうのでした―。
更に、丁重には扱われるものの、[劉備]の家にいた、彼の妻達も人質とされてしまうのです。
泣く泣く自分の失敗を[劉備]に報告しに来た[張飛]。
また自分の領地を失った[劉備]ですが、
更に[袁術]が攻めて来ている事を知ります。
ここで[劉備]がとった行動は、《徐州》に戻るということ。
[劉備]はまだ[呂布]が、更には裏切らないということを言うのでした。
[呂布]も[劉備]らには手出しをせず、丁重に出るものの、
結果的に[劉備]は[呂布]よりも立場が下になったも同然なのです。
しかし、感情的に成らない[劉備]は、これを戦争まで広げなかったのです。
![]()
これに一番気に入らなかったのは、それに乗じて《徐州》を取りたかった[袁術]。
[袁術]らは、[呂布]を落とすために、
袖の下として、20万石もの兵糧を渡すのですが、
こうして《徐州》を落とすという策は、[陳宮]により見破られるのです。
全て上手くいっていると思い込んでいる[呂布]は、[陳宮]の忠告など聞かず、
[袁術]が《徐州》を攻める名分を作ってしまうのです。
このエピソードの注目点
「[劉備]と[呂布]の関係の絶妙さ」
![]()
普通ならば、ここで[劉備]らが戦争になるも同然。
少なくとも、他の諸勢力ならばそうなるところを、
屈辱的なことをしてまで、[呂布]に従うことになるのでした。
しかし[劉備]からしてみれば、
それは漢室から借りていた土地を治めていただけであって、
その統治を[呂布]に任せるだけ。なのだとか。
彼の義兄弟いわく、お人好し過ぎではありますが、
[陳宮]は[劉備]の更なる思惑に、恐れを抱いていたようです。
注目の人物
![]()
[張飛 翼徳]
西暦:?年〜221年(章武元年)
吹替:天田益男
[劉備]の義三兄弟の弟分。
豪胆な性格と武勇を誇っており、『劉備軍』の五代将軍、
更には皇族にまでなった彼ですが、
酒に溺れて失敗しやすいという欠点があり、今回もそれによって、
大失敗をしてしまうということになりました。
[劉備]は、[関羽][張飛]らと、義兄弟の契りを交わしており、
死ぬときも共に、と誓っているので、軍令では、死にきれないようです。
[劉備]とともに歩み続けた彼は皇族となったので、
娘が、[劉備]の後継[劉禅]に嫁いで皇后になり、
『蜀』の国を支えることとなりました。
![]() |