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三国志 Three Kingdoms 第13話 「曹操、皇帝を傀儡とす」


三国志 Three Kingdoms 第12話 「呂布、小沛に留まる」



「[荀ケ]。皇帝の名で詔を作り天下に告げよ。
天子は帝都を《許》に移されることになった。
諸侯、太守、刺史、将軍は速やかに朝廷に参内するよう。
この他、本日をもって《許》は“許都”と名前を改め、
年号を“建安”に改元、大赦を行う。」

―[曹操 孟徳]


第一部「群雄割拠」第十三集

時代背景:196年 [曹操]による[献帝]保護、《洛陽》から《許昌》への遷都


《徐州》を巡った争いが、[曹操][劉備][呂布]らの間で繰り広げられ、

それが3年にもなろうとしていました。

この間、[劉備]は[呂布]と危ういながらも同盟を続けています。


ここにやって来た[曹操]にもたらされた情報。

それは『後漢王朝』の皇帝、[献帝]が[董卓]残党の手から逃れており、

助けを求める書簡をよこしてきたというのです。

このことに、[荀ケ]は皇帝を救出するという案を[曹操]に出すのでした。


皇帝が助けを求めているという情報は、[袁紹]など、豪族達にも知られることに。

しかし[袁紹]は、[公孫?]を倒し、《幽州》を奪うことを望み、

[献帝]の保護を狙うのは、[曹操]だけということに。




やがて[献帝]は《洛陽》に帰還。

『漢王国』400年の歴史も、皇帝がひもじい思いをしなければならないという、

没落した状況。

それを助けたのは、事もあろうか、恐れられている[曹操]だったのです。

手段を選んでいない皇族達は、彼の到来を感謝するのでした。


ですが、[曹操]は滅んだも同然な《洛陽》は使い物にならないと判断し、

自分の領地内にある《許昌》へとの遷都を決意。




“大将軍”にまでされた[曹操]でしたが、この遷都は、快く思われず、

[献帝]は、自分が利用されている事を痛感します。


皇帝を招いた[曹操]はその影響力を大きく増し、

事のついで程度で、“詔(みことのり)”を出せるほどの始末。


これは[袁紹]らの元にも届き、彼らは[曹操]の勢いを知ることなるのでした。

そしていずれ、[袁紹]も[曹操]と戦う事になることを決意し、

大規模に軍を増備し始めます。


[曹操]は皇帝の権力を狙って目障りな、[袁術]を、

[劉備]に詔を下して、[袁術]を攻めるように命じるのでした。




このエピソードの注目点

「[献帝]を巡った争い」



『後漢王朝』の権威は失墜し、誰が皇帝を手中に収めるか、

という争いへと展開してきました。

結局のところ[曹操]が一番乗りとなりますが、

皇帝を手中に収めたかったのは、[袁紹]や[袁術]も同じ。

[曹操]が、都を《許昌》に遷都して、いいように皇帝を操ったと言われていますが、

これは[袁紹]や[袁術]でも同じことだったでしょう。

しかしまだ、強力ではあるものの、最大の勢力ではなかった[曹操]は、

大将軍となり、天下にその実力をしらしめる事となりました。



注目の人物



[献帝(劉協 伯和)]
西暦:181年(光和4年)〜234年(青龍2年)

吹替:須藤翔

『漢王朝』最後の皇帝。それ故に『三国時代』に最も関わる皇帝であり、

更に様々に利用され続けることになる帝です。

彼自身は、[董卓]により無理矢理建てられた皇帝であり、

その力を振るうことはほとんどありませんでした。


[董卓]残党の[李カク]と[郭]に連れ去られ、そこからの逃亡生活。

そしてようやく[曹操]に保護されたものの、

それは帝の権力を盾に取るという[曹操]の策であり、

追い詰められた彼は[曹操]を暗殺しようともしたほどでした。

結果的にそれは失敗したものの、[献帝]は生かされ、

[曹操]の息子[曹丕]に禅譲を譲るまで、皇帝で在り続けました。


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三国志 Three Kingdoms 第14話 「呂布の裏切り」
三国志 Three Kingdoms 第14話 「呂布の裏切り」

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