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第一部「群雄割拠」第十二集
時代背景:193年『徐州の戦い』
[劉備]が《徐州》に救援にやって来たことによって、
『曹操軍』は、一体軍を引いたものの、
まだ[陶謙]ごと《徐州》を滅ぼす気は満々にありました。
その頃、[呂布]の軍師になった[陳宮]の差金で、
[曹操]の土地《エン州》が襲撃された知らせが入ります。
帰る家を失う事を危惧した[曹操]は、一旦撤退し、
彼を撤退させた事で[劉備]は《徐州》の英雄として祭り上げられるのでした。
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不本意では無い[劉備]でしたが、民を守るためにと、《徐州》に留まるのです。
そんな折、無理がたたったのか、すでに歳であったためか、[陶謙]が病床に倒れ、
彼に、[劉備]が立ち上がる地として《徐州》を託されるのでした。
断る劉備を半ば無理矢理にでもといった具合で、[陶謙]に土地を任され、
[劉備]は再び来襲する『曹操軍』と立ち向かう決意をします。
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しかしやって来たのは、『呂布軍』。
元々因縁があった[呂布]と[劉備]らですが、国賊を打ち倒した事から、
[張飛][関羽]に反対されるものの、
そして軍勢を連れてきていることから、迎えるということになりました。
いつの間にか自信過剰で横暴な性格になっていた[呂布]は、
《徐州》に入ってくるなり[劉備]達に大きな顔を見せ、
お互いに《徐州》のちを巡って、奪う奪わないといった思惑が動きます。
ただこの両者がいるからこそ、[曹操]を牽制するきっかけになるのでした。
やがて、善者をいく[劉備]達一派の[張飛]と[呂布]が対立。
[呂布]を激怒させることになりますが、
何としても[呂布]に出て行ってほしくない[劉備]は、
必死になって彼を止め、何とか、とどまらせることになるのでした。
このエピソードの注目点
「《徐州》を巡った三者三様」
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[陶謙]亡き後、[劉備][曹操][呂布]が《徐州》を巡って争い、
複雑に入り乱れていきます。
この辺り、一年前だった敵が味方になったりということが起こるので、
実際、物語で整理するのも結構難しいのですよね。
しばらく物語は、《徐州》を巡って動きます。
[曹操]の《エン州》、[袁紹]の《冀州》、そして《徐州》と、
三者三様の領土の奪い合いは、それ以上に戦乱の思想のぶつかり合いとなったのです。
注目の人物
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[荀ケ 文若]
西暦163年(延熹6年)〜212年(建安17年)
吹替:星野充昭
『曹操軍』には何人も名軍師がいましたが、その中でも三本の指に入るのは、
[程c][郭嘉]、そして[荀ケ]です。
[曹操]の活躍の影で活躍していた人物であり、
特に『赤壁の戦い』前後まで、彼の知恵袋でもありました。
元は[袁紹]配下で、彼を見限って[曹操]についたそうですが、
故に後に敵対することになる、[袁紹]の内情や人柄を見抜いていたようです。
このドラマでは、[曹操]の父が暗殺された時、
それを大義名分にして、《徐州》に攻め入ること。
また、誰よりも先に『漢』の皇帝[献帝]を保護するようにと、
[曹操]に勧めた出来事が描かれます。
彼の息子たちも優秀であり、同じく『曹一族』らに仕えた事が知られます。
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