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第一部「群雄割拠」第十一集
時代背景:193年『徐州の戦い』
[董卓]が打ち倒され、『後漢』王朝は復活したかと思われたものの、
彼の残党によって再び戦乱の渦中へ。
[曹操]は父親を[陶謙]配下の者達に暗殺され、
いよいよ彼が動くことになるのです。
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その名目は、父親の暗殺の報復。しかし有能な家臣の[荀ケ]によって、
この報復を名目として、《徐州》を攻めて支配する事を提言。
それを[曹操]は受け入れるのでした。
[曹操]に攻め込まれたら、《徐州》は滅ぶ。
そう絶望的になる[陶謙]は、
近隣の勢力である[袁紹][袁術][公孫サン]に救援を求めるものの、
《徐州》を救ったところで何も利益が無いということで、
全く動くことが無かったのでした。
見捨てられ、[曹操]に攻められて滅ぶことが明らかな《徐州》。
しかし、[公孫サン]の元にいた[劉備]らはそれをよしとせず、
彼は自分のまだ僅かな部下達と共に、《徐州》を救うべく乗り出すのです。
そしてこの時、[公孫サン]の配下であった[趙雲]の才能を見出し、
彼を配下へと入れます。
[陶謙]は[曹操]に和平を申し込むものの、
[曹操]がそれに応じることもなく、『徐州の戦い』が勃発しました。
圧倒的な勢力差で余裕を持った[曹操]でしたが、
『陶謙軍』に援軍が来たとの報が入ります。
「援軍とはどこのだ?[袁紹]か?[袁術]か?」
その予想も外れ、意外にもやってきた援軍は[劉備]。
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中でも[趙雲]が活躍をし、[曹操]は、
「[呂布]の他にも猛勇がいたか!」と言うほど。
予想外の援軍に、[曹操]は安全策をとってか撤退。
[陶謙]は[劉備]に救われたと、彼に感謝をし、
徐州牧の地位を[劉備]に渡すとまで言ってしまいます。
しかし名誉は望まない、世の中を平定するのはそういった心ではないと、
これを拒む[劉備]。
果たして―。
「《徐州》を巡った争い」
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[曹操]の父親、[曹昂]が暗殺されたことを原因として、
《徐州》が攻められる事になり、様々な豪族たち入り乱れます。
[曹操]は父親の暗殺を大義名分に、
[劉備]は[公孫サン]配下であることさえ辞め、
彼なりの大義名分で、『徐州の戦い』に挑むことに。
《徐州》を巡って新たな戦いと乱世が展開していきます。
明確に[曹操]と[劉備]の天下の目指し方が違うのも注目です。
注目の人物
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[陶謙 恭祖]
西暦132年〜194年
吹替:伊井篤史
《徐州》の統治者として、また[曹操]の父親が彼の部下に殺害され、
その逆鱗に触れる事になる可哀想な人とも描かれます。
結果として《徐州》は[曹操]によって大規模な戦いを起こされ、
何とかそれを[劉備]に抑えてもらえ、彼は[劉備]に《徐州》を託すことになります。
しかし乱はそれだけでは終わらず、
最終的に[曹操]に全て支配されてしまうわけですが。
とはいえ、それまでは《徐州》を治め、勢力拡大をしようとしていた、
群雄の一人であったのです。
さすがに、[曹操][袁紹][袁術][公孫サン]などに敵うことはなく、
様子を伺っている間に板挟みになってしまった、
という可哀想なところはあるわけなのですが。
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