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三国志 Three Kingdoms 第11話 「劉備、徐州を救う」


三国志 Three Kingdoms 第10話 「董卓の死」



「お父上を殺したのは、他ならぬ[陶謙]だ。と
これで文句は出ません。

仇を討つための挙兵なら、大義名分が立ちます。
天意に即し、人情に訴え、道理にも適います。
よって《徐州》はご主君のものとなります。」

―[荀ケ 文若]


第一部「群雄割拠」第十一集

時代背景:193年『徐州の戦い』


[董卓]が打ち倒され、『後漢』王朝は復活したかと思われたものの、

彼の残党によって再び戦乱の渦中へ。

[曹操]は父親を[陶謙]配下の者達に暗殺され、

いよいよ彼が動くことになるのです。



その名目は、父親の暗殺の報復。しかし有能な家臣の[荀ケ]によって、

この報復を名目として、《徐州》を攻めて支配する事を提言。

それを[曹操]は受け入れるのでした。


[曹操]に攻め込まれたら、《徐州》は滅ぶ。

そう絶望的になる[陶謙]は、

近隣の勢力である[袁紹][袁術][公孫サン]に救援を求めるものの、

《徐州》を救ったところで何も利益が無いということで、

全く動くことが無かったのでした。


見捨てられ、[曹操]に攻められて滅ぶことが明らかな《徐州》。

しかし、[公孫サン]の元にいた[劉備]らはそれをよしとせず、

彼は自分のまだ僅かな部下達と共に、《徐州》を救うべく乗り出すのです。

そしてこの時、[公孫サン]の配下であった[趙雲]の才能を見出し、

彼を配下へと入れます。


[陶謙]は[曹操]に和平を申し込むものの、

[曹操]がそれに応じることもなく、『徐州の戦い』が勃発しました。

圧倒的な勢力差で余裕を持った[曹操]でしたが、

『陶謙軍』に援軍が来たとの報が入ります。


「援軍とはどこのだ?[袁紹]か?[袁術]か?」

その予想も外れ、意外にもやってきた援軍は[劉備]。



中でも[趙雲]が活躍をし、[曹操]は、

「[呂布]の他にも猛勇がいたか!」と言うほど。


予想外の援軍に、[曹操]は安全策をとってか撤退。

[陶謙]は[劉備]に救われたと、彼に感謝をし、

徐州牧の地位を[劉備]に渡すとまで言ってしまいます。


しかし名誉は望まない、世の中を平定するのはそういった心ではないと、

これを拒む[劉備]。

果たして―。




「《徐州》を巡った争い」



[曹操]の父親、[曹昂]が暗殺されたことを原因として、

《徐州》が攻められる事になり、様々な豪族たち入り乱れます。

[曹操]は父親の暗殺を大義名分に、

[劉備]は[公孫サン]配下であることさえ辞め、

彼なりの大義名分で、『徐州の戦い』に挑むことに。

《徐州》を巡って新たな戦いと乱世が展開していきます。

明確に[曹操]と[劉備]の天下の目指し方が違うのも注目です。



注目の人物



[陶謙 恭祖]
西暦132年〜194年

吹替:伊井篤史


《徐州》の統治者として、また[曹操]の父親が彼の部下に殺害され、

その逆鱗に触れる事になる可哀想な人とも描かれます。

結果として《徐州》は[曹操]によって大規模な戦いを起こされ、

何とかそれを[劉備]に抑えてもらえ、彼は[劉備]に《徐州》を託すことになります。

しかし乱はそれだけでは終わらず、

最終的に[曹操]に全て支配されてしまうわけですが。


とはいえ、それまでは《徐州》を治め、勢力拡大をしようとしていた、

群雄の一人であったのです。

さすがに、[曹操][袁紹][袁術][公孫サン]などに敵うことはなく、

様子を伺っている間に板挟みになってしまった、

という可哀想なところはあるわけなのですが。


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三国志 Three Kingdoms 第12話 「呂布、小沛に留まる」
三国志 Three Kingdoms 第12話 「呂布、小沛に留まる」

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