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第一部「群雄割拠」第十集
時代背景:192年(初平3年) 『[董卓]の暗殺事件』
[貂蝉]らによる“美女連環の計”により、
[董卓]と[呂布]の関係は完全に決裂状態。
そんな中、[貂蝉]の養父である[王允]の元には[陳宮]がやってきて、
今後の作戦を練って、[呂布]の重要さを指摘されます。
[呂布]の武勇は今後の『漢王朝』の再興に不可欠と判断され、
[陳宮]に背中押しをされます。
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そして、[董卓]を暗殺してしまえば良いと、考えることに。
天子の勅書の元に[董卓]を倒すという決意をする[呂布]ら。
[董卓]は自分が皇帝になれると、勅令から判断して調子に乗るのですが、
その皇帝即位という日、油断もしていたのか、罠にかけられ、
これまでの暴君ぶりが嘘であるかのように、
いともたやすく暗殺されてしまうのです。その手を下したのは[呂布]。
あたかも一つのドラマが終わったかのような最期を迎えるのですが、
ここからが『三国志』の新たなる混乱と戦乱。
『漢王朝』の復興を目指す[王允]らですが、[董卓]残党である、
[李?]と[郭]の勢いを見抜けなかった彼ら。
この二人の猛将は一気に《長安》を攻め立て、[王允]らを追い詰めるのでした。
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[王允]は、[献帝]を守るために、自ら身を投げて死を受け入れ、
帝はついに[李?]と[郭]の手中に入ってしまうのです。
都が落ちた事を知った、[呂布]と[陳宮]は、都を脱出。
新たな新天地を目指すのです。
その頃、《徐州》では、[曹操]の父親である[曹嵩]が[陶謙]配下によって、
暗殺されるという事件が発生。
[曹操]はそれに嘆き悲しみ、怒り、《徐州》に対して怒りを向けることに。
こうして新たな時代が始まるのでした―。
このエピソードの注目点
「美女連環の計の最期」
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[王允][貂蝉]によって仕掛けられた美女連環の計。
それは[董卓]を暗殺するために[呂布]らを味方につけるというもの。
『三国志』最初の最もドラマチックな展開とされていますが、
[董卓]暗殺は確かに成功しますし、その伏線はいくつもありました。
しかし、だからといって簡単に『漢王朝』の再興はできません。
この事件に貢献した[王允]は実質殺害されてしまい、
天下は新たな混乱へと向かっていく。
一幕でしか無かったのです。
注目の人物
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[董卓 仲頴] ?年〜192年
吹替:福田信昭
『後漢』末期に暴君として君臨し、[献帝]の名のもとに、
その力を大いに振るった人物。
養子に[呂布]がいたものの、嫉妬なのか何なのか。
結局は暗殺されてしまうのでした。
その動機は野心であったとも、西涼の出身であったがゆえ、当然であったと、
そう言われていますが、当時の『漢王朝』を恐怖に陥れたのは事実。
その暴虐ぶりに怒りを感じた[王允]や[呂布]によって、
暗殺をされるという、暴君ならではの最期を迎えるのですが、
それが[貂蝉]と呼ばれる一人の女性の色恋沙汰だったということは、
『三国志』では有名です。
このことは創作と言われていますが、確かにモデルとなった、[董卓]の女官はいるようです。
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