三国志 Three Kingdoms 第7話 「孫堅の死」


三国志 Three Kingdoms 第6話 「孫堅、玉璽を得る」



「兄上、追ってはいけません。冷静になってください!
必ず《江東》を守れとおっしゃっていました。
でないとあの世で父上たちが安らかでいられません!」
―[孫権 仲謀]



第一部「群雄割拠」第七集

時代背景:191年『襄陽の戦い』『[孫堅]の暗殺事件』


『反董卓連合』でその頭角を成し、朝廷からも期待されていた[孫堅]ですが、

伝国の玉璽を手に入れたことから、それに目をつけた[袁紹][袁術]らに、

命を狙われる事になるのです。


一旦は何事もない事を安心した[孫堅]ですが、

船で河を航行中に『荊州軍』の襲撃に遭い、弓矢の前に致命傷を負い、

跡を息子達に託し、また“伝国の玉璽”を[袁術]に渡し、難を逃れるように言い残すのです。

[黄蓋]らに守られ、死地を脱する[孫策][孫権]ら。

しかし、まるで測ったかのように、[孫堅]の遺体を持ち去っていってしまう『荊州軍』―。


激高する[孫策]を抑え、[黄蓋]は、捕らえた[黄祖]を人質交換として、

遺体を返し、和睦も結ぶように言うのです。

[孫権]はその交渉に、わずか9歳ながら向かおうとするのです。

先に[黄祖]を返すという姿勢を見せ、一度は[劉表]の部下らに笑われてしまうものの、

配下の[蔡瑁]に感動され、遺体は無事に戻るのでした。



一方《長安》では、未だ不動の地位を保つ[董卓]が、

[孫堅]の死を知り、自分の勝利を確信。

[李儒]の勧めで、『後漢朝廷』に更に不動の地位を持ち、

最終的には皇帝になるよう図ります。


この[董卓]の新たな動きに危機感を覚えた[王允]は、

ついに自分が何かをしなければならないという事を痛感し、



「生きているうちは殺せないが、死んだらお前の命を頂く!」

自分の養女[貂蝉]に、[董卓]の養子にして最強の配下、[呂布]が好意を持っていることを知り、

それが、毎日贈り物をしてくるほどだと知ります。


これを知った[王允]が[董卓]に仕組む策とは―?



このエピソードの注目点
「[孫堅]の死と、[孫権]」



史実上の時間軸ですと、[孫堅]が[袁術]に玉璽を献上し、

彼の配下に収まることで、一旦は、自分から目をそらさせ、

その後、[袁術]の命令で、《襄陽》に赴いたところを暗殺されてしまう。

というのが顛末なのですが、

このドラマでは『反董卓連合軍』の同盟解散後、帰郷時に[劉表]に殺害された、

その非業の最期が描かれます。

そして交渉に出てくる[孫権]は、大人にも感服させるほどのものでした。

しばらく彼は出てこないことにはなるのですが、

次に登場したときは、立派な青年になっているのです。


注目の人物



[劉表 景升]

吹替:田原アルノ

元々は[何進]に仕えており、[霊帝]の死後に《荊州》の後任に任じられました。

彼の土地である《荊州》に関連する話については、

もっと後、[劉備]が台頭してからの話で、

その頃に彼は老齢で死去してしまうのですが。

彼の有名な点は《荊州》の領主としての立場もありますが、

[袁術]の命令によって[孫堅]が侵入してきた時対抗し、

その[孫堅]を殺害した事が有名ですが、

《荊州》の領主としては政治に長けていたことから、優れていた姿があるようです。

その反面、息子の[劉璋]は、簡単に[曹操]に降伏してしまったことが、

悪く描かれる事も多いようですね。

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三国志 Three Kingdoms 第8話  「王允の離間の計」
三国志 Three Kingdoms 第8話 「王允の離間の計」

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