![]() ![]()
第一部「群雄割拠」第七集
時代背景:191年『襄陽の戦い』『[孫堅]の暗殺事件』
『反董卓連合』でその頭角を成し、朝廷からも期待されていた[孫堅]ですが、
伝国の玉璽を手に入れたことから、それに目をつけた[袁紹][袁術]らに、
命を狙われる事になるのです。
一旦は何事もない事を安心した[孫堅]ですが、
船で河を航行中に『荊州軍』の襲撃に遭い、弓矢の前に致命傷を負い、
跡を息子達に託し、また“伝国の玉璽”を[袁術]に渡し、難を逃れるように言い残すのです。
[黄蓋]らに守られ、死地を脱する[孫策][孫権]ら。
しかし、まるで測ったかのように、[孫堅]の遺体を持ち去っていってしまう『荊州軍』―。
激高する[孫策]を抑え、[黄蓋]は、捕らえた[黄祖]を人質交換として、
遺体を返し、和睦も結ぶように言うのです。
[孫権]はその交渉に、わずか9歳ながら向かおうとするのです。
先に[黄祖]を返すという姿勢を見せ、一度は[劉表]の部下らに笑われてしまうものの、
配下の[蔡瑁]に感動され、遺体は無事に戻るのでした。
![]()
一方《長安》では、未だ不動の地位を保つ[董卓]が、
[孫堅]の死を知り、自分の勝利を確信。
[李儒]の勧めで、『後漢朝廷』に更に不動の地位を持ち、
最終的には皇帝になるよう図ります。
この[董卓]の新たな動きに危機感を覚えた[王允]は、
ついに自分が何かをしなければならないという事を痛感し、
![]()
「生きているうちは殺せないが、死んだらお前の命を頂く!」
自分の養女[貂蝉]に、[董卓]の養子にして最強の配下、[呂布]が好意を持っていることを知り、
それが、毎日贈り物をしてくるほどだと知ります。
これを知った[王允]が[董卓]に仕組む策とは―?
このエピソードの注目点
「[孫堅]の死と、[孫権]」
史実上の時間軸ですと、[孫堅]が[袁術]に玉璽を献上し、
彼の配下に収まることで、一旦は、自分から目をそらさせ、
その後、[袁術]の命令で、《襄陽》に赴いたところを暗殺されてしまう。
というのが顛末なのですが、
このドラマでは『反董卓連合軍』の同盟解散後、帰郷時に[劉表]に殺害された、
その非業の最期が描かれます。
そして交渉に出てくる[孫権]は、大人にも感服させるほどのものでした。
しばらく彼は出てこないことにはなるのですが、
次に登場したときは、立派な青年になっているのです。
注目の人物
![]()
[劉表 景升]
吹替:田原アルノ
元々は[何進]に仕えており、[霊帝]の死後に《荊州》の後任に任じられました。
彼の土地である《荊州》に関連する話については、
もっと後、[劉備]が台頭してからの話で、
その頃に彼は老齢で死去してしまうのですが。
彼の有名な点は《荊州》の領主としての立場もありますが、
[袁術]の命令によって[孫堅]が侵入してきた時対抗し、
その[孫堅]を殺害した事が有名ですが、
《荊州》の領主としては政治に長けていたことから、優れていた姿があるようです。
その反面、息子の[劉璋]は、簡単に[曹操]に降伏してしまったことが、
悪く描かれる事も多いようですね。
![]() |