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第一部「群雄割拠」第六集
時代背景:191年(初平2年)『[董卓]による《洛陽》から《長安》への遷都』
[董卓]は《長安》への遷都を強行し、民が苦しんでいる中、
[董卓]を討伐する立場であるはずの[袁紹]と[袁術]は、
[孫堅]ら有力勢力を潰すことしか考えておらず、
[曹操][孫堅][劉備]は、明らかな反目を見せ、
ついに『反董卓連合軍』は、仲違いをして崩壊。
[曹操]は廃墟とかしている都は見限り、
[呂布]らの軍を追撃しようと考えます。遷都を行なっている最中の襲撃に、
[王允]の養女[貂蝉]は危機に陥りますが、
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あたかも姫を守る勇者がごとく[呂布]が守り、ここで二人は出会う事に。
[王允]は、[貂蝉]が無事で、それを助けたのが[董卓]の養子[呂布]
《洛陽》に一番乗りをしたのは、
[孫堅]とその息子の[孫策][孫権]らでした。
廃墟とかした都には何も残されていないと思う彼らでしたが、
そこで王宮で手に入れたのは、“伝国の玉璽”なのでした。
[孫堅]はそれを手にした事で力を得たように思うのですが―。
[袁紹]や[袁術]は、玉璽を[孫堅]が持っていると疑い、
《荊州》の[劉表]は、[孫堅]を暗殺して玉璽を奪うように密命を受けるのです。
脅しとも取れるこの命令に、自分達の領地が有利になると判断した[劉表]は、
部下達に命じて、[孫堅]を罠にはめ、暗殺する事を計画するのでした。
それを予見した[孫堅]は、息子[孫策]や武将の[黄蓋][程普]らに意見を仰ぎますが、
伝国の玉璽を手放すことは出来ず、
自らの軍を率い、[劉表]の元へと乗り込んでいくのです。
このエピソードの注目点
「玉璽の存在」
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今の時代からはあまり考えられないことですが、
“玉璽”とはいわゆる皇帝が持つ印鑑。
それを有していることは皇帝と名乗れる。というほどのもの。
ですが、それで世が乱れると判断した[孫堅]は自分が預かります。
さすがにこの時代でも、“玉璽”というただの印鑑だけで、皇帝を名乗るのは、
あまりに愚かしいと考えられているようですが、
[袁術]などはそれを何が何でも手に入れたかったようですね。
注目の人物
[孫堅 文台]
吹替:長克巳
後に次男[孫権]が『呉』の国を建国する、その礎を築いた武将。
彼自身は、『反董卓連合軍』では[曹操][劉備]以上の活躍を見せ、
すでに反乱鎮圧などで朝廷から期待されているなど、
頭角をなしていました。
しかしながら、その出すぎた力が、[孫堅]の首を締めてしまったと言いましょうか。
息子達が優秀であったため、彼の非業の最期は、
遺志として受け継がれたのでしょうけれども。
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