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第一部「群雄割拠」第二集
時代背景:189年(中平6年)『[董卓]暗殺未遂』からの[曹操]逃亡
『後漢朝廷』を操る暴君[董卓]の暗殺に失敗した[曹操]。
武力もまだ少ない彼は、逃亡生活を余儀なくされます。
[曹操]に期待をしていた[王允]らは落胆してしまいます。
[董卓]は徹底的に[曹操]、更には[袁紹]をも追い詰めようとするのでした。
[王允]は、自分の養女[貂蝉]に、まだ[曹操]が捕らえられておらず、
暗殺計画の首謀者が、彼ではないという状態であるという事を助言。
自害すれば、罪を認めることになるというのです。
そんなところにやってきた、[董卓]の養子にして、猛将の[呂布]。
彼は[曹操]が匿われていると思ったようですが、
そこで彼が出会ってしまうのが[貂蝉]でした。
(架空の人物とは言え、その元となる人はいる)絶世の美女といわれる[貂蝉]に、
思わず一目惚れをしてしまう[呂布]。
そして、[呂布]は、自分の義父の暗殺に[王允]は加担していないと判断するのです。
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[曹操]は命からがらの逃亡生活を続け、関所で捕らえられていたところ、
旧知の間柄である[陳宮]と出会い、
一芝居うった後、彼に逃亡の手助けをされるのです。
[曹操]は、自分が[董卓]をたった一人で暗殺しようとした事を悔い、
多くの民達と共に攻めるべきだったと言います。
[陳宮]に感謝をした[曹操]は、己の故郷に戻り、挙兵することを決断します。
[陳宮]もそれに賛同し同行することを誓うのでした。
その頃、群雄の中でも抜きん出た勢力を持つ[袁紹]はすでに挙兵。
しかしながら、[曹操]は[袁紹]の事を軽んじており、
更に[曹操]は、時代のずっと先を見ていました。
『後漢朝廷』の腐敗の原因をすでに見抜き、
天下を見据えた次の時代のために彼は動き出そうとしていたのです。
[曹操]は、自分の叔父である[呂伯箸]の元にやってきますが、
彼が酒を買いに出て行った頃、逃亡生活の中で疑心暗鬼に陥っていた[曹操]は、
彼さえも自分の首を[董卓]に差し出そうとしていると誤解。
早まって、彼の家の者達を殺害してしまうのです―。
その頃、《桃園》という辺境の地では、
[劉備]、[張飛]、[関羽]が、“桃園の誓い”を交わし、
後の英雄たちの義兄弟が誕生しているところでした―。
このエピソードの注目点
「[曹操]と[陳宮]」
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命からがら逃げた[曹操]が関所で捕らえられ、
旧知の間柄である[陳宮]と再会するというのが、
今回のエピソードで、[劉備]達もちらりとしか登場しないのがポイント。
二人の関係は、また『三国志』でも絶妙なもので、
今回、[曹操]は、早まって自分をかくまってくれた伯父の家の者達を殺害してしまう、
という行動に出てしまいます。
これが、[陳宮]が後に[曹操]の元を離れ、敵対する関係になったというのは、
『三国志演義』の伝説であり、史実にはないそうです。
しかしこうした伝説を、自然な形で見せてくれるのも、
このドラマの魅力なのではないでしょうか。
注目の人物
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[陳宮 公台] -Chen Gong-
?年〜198年
吹替:仲野裕
多くの名士と交流を持ち、[曹操]にも仕えた人物です。
しかしながら、[曹操]の苛烈な一面を目撃し、彼の心は動き、
《徐州の戦い》の頃には、完全に離れ、[呂布]の配下になった、
と言われています。
このエピソードの通り、[董卓]暗殺の罪から逃亡生活の際、
疑心暗鬼で、伯父の家の者達を殺害してしまうことから、彼の心は[曹操]から、
離れていったと言われていますが、これは創作のようです。
実際、[陳宮]が[曹操]の元を離れた理由は不明であるらしく、
これが彼の人生をも左右することになるのでした―。
こうした辺りもしっかり描けるのは、95話に及ぶ長編ドラマらしいと言えましょうか。
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