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●来歴
「曹操」の次男であり、「曹操」は『魏』の皇帝にはなりませんでしたが、
「曹丕」は皇帝となります。
つまり『魏』という国の正式な初代皇帝になります。
彼は聡明な人物であり、8歳ですでに物書きができて、
剣術などを得意としており、『曹操軍』にも11歳から従軍という、
「曹操」からも期待されていた人物です。
しかしそれよりも優秀であったという「曹沖」を「曹操」は大きく買っていたらしく、
「曹丕」は嫉妬をし、暗殺までしてしまったという噂もあります。
ある意味、この時代、優秀すぎるという事を隠せないのは、愚かしいことでありますが。
かの[諸葛亮]も、何とか暗殺を免れてきたという話もあります。
「曹沖」は幼さなかったのが、仇となったのかもしれません。
「曹丕」は弟達とも家督争いをしながらも、何とか皇帝の地位を保ちました。
「曹操」の元では五官中郎将として副丞相をも任されて期待されていました。
西暦217年に太子に任命されて、西暦220年に父が死去したので、
『魏王』に即位する事になります。
そして彼は正式に『後漢』の「献帝」に禅譲を迫り、
皇帝になる事で、『魏国(曹魏)』を開きます。
『後漢』が正式に滅び、“三国時代”が正式に始まったのもこの時です。
その後、222年から『江陵の戦い』を展開して、呉に攻め込みますが、
なかなか上手くいかず。
また後に『魏』の権力を握る「司馬懿」も、「曹丕」からは期待されていたようですね。
「曹操」からは信頼されていなかったようですが。
しかしながら、226年、風邪が悪化して肺炎になってしまい死去。
享年40歳という若さです。
後に息子、「曹叡」が後を継ぎますが、彼はそこまで有能と言える存在ではなく、
さらに次の世代、「少帝」が幼かったために、
『魏国』に明確な崩壊が始まろうとしていきます。
●後世の評価
『三国志演義』などでは『魏』はあくまで敵なので、
「曹操」の息子の「曹丕」もあまり良い描かれ方をされません。
『三国志』でも、父の「曹操」の陰に隠れてしまい、「曹丕」はあまり登場せず。
『真・三國無双』でも、ようやく4作目で登場しました。
これは正室の「甄姫(文昭皇后)」よりも遅いのです。
彼が『官渡の戦い』の折、敵方にいた「甄姫」に一目ぼれをして、
正室にしたのは逸話ですが、無双ではしっかりと描かれます。
そのため、『官渡の戦い』の主人公は彼になる事もあります。
無双では、父よりもある意味冷静で冷徹な存在ですが、
きちんと軍を動かす才も持ち合わせた、聡明な人物として描かれます。
そして、父が、権力を欲していないという事に疑問を抱く面も。
これは「曹操」が『魏』の皇帝にならず、初代皇帝が「曹丕」自身だった事に由来する、
描かれ方なのでしょう。
●子孫について
あと、「曹丕」には妃が14人もいて、子だくさんだったのですが、
[曹叡]の世代までは、きちんとした皇帝として保てていたものの、
その彼の実の子が皆早世してしまったので、
残念ながら『魏』という国を担っていける器の子供がいなかったことは、
後の『魏』の腐敗からも分かってしまうのでした。
●政治・内政面での功績
『九品官人法』など、後世にも長く引き継がれるという法律などの制定や、
国内部の安定に務めたということからも、
政治面で優秀であったことは確かです。
それは父親の[曹操]さえも上回るほどであったと。
彼の在位が6年足らずというのも、悔やまれます。
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