周瑜 公瑾


名:周瑜(しゅうゆ)
字:公瑾(こうきん)
-Zhou Yu-

通称:美周郎

所属:袁術軍→孫策軍→孫権軍
出生:呉郡富春県
生年:喜平4年(175年)
没年:建安15年(210年)
(享年36歳)


-伝-
『三国志 呉書』
巻54『周瑜魯粛呂蒙傳』[周瑜]伝


-血縁関係-

高祖父:[周栄]
従祖父:[周景]

父:[周異]

妻:[小喬]

子:[周循][周胤][孫登妻]

『真・三國無双』

CV:吉水孝宏
無双における二つ名は、「紅き情熱」
ビジュアル系ともいえるほどの美青年でしたが、
最近では更に浮世離れした姿となってきましたね。
奥様である小喬については、
かなりのロリータの女性として登場します。
諸葛亮の才を認めつつも警戒を払うというのは、
やはり『三国志』通りですね。
戦いは長い棍棒だったり長剣だったりとその姿は様々です。

『三国志大戦』

孫策というと、やはり若き武将としての姿。
しかしこちらは何だかとてもワイルドな印象ですね。
格好いいイメージをよく持たれる人です。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

吹替:小山力也




○来歴

『三国志』、呉の英雄の一人であり、「赤壁の戦い」などで、

その武将としての、軍師としての存在はあまりにも有名です。


元々、周家は後漢において、大尉を三代に務めてきた名だたる家。

孫堅が反董卓連合の挙兵をした時、周瑜は彼の息子の孫策と出会い、

同い年でもあったことから、“断金”とも言われるほどの親交になります。


孫堅の後を継いだ孫策は、荊州の攻略を考え、

周瑜を中護軍に任命。この頃に、喬公の2人の娘を捕虜にしますが、

妹の方、小喬に一目惚れした周瑜は妻に迎えます。

しかしやがて孫策も若くして死去、弟の孫権に仕えるようになるのでした。


「赤壁の戦い」の時代、圧倒的な軍事力を持っていた、曹操軍は、

荊州にまで侵攻してきて、孫権達は降伏するかどうか論争を抱きますが、

劉備軍からの使者、諸葛亮と結託して、「赤壁の戦い」に周瑜は参戦。

周瑜は諸葛亮と共に、曹操の大船団に火計を用い、見事これに勝利するのでした。

この戦いの時、曹操はあまりにも美人だった、

周瑜の妻、小喬を娶りたかったという逸話があり、

映画『レッド・クリフ』では重要なファクターになっていましたね。


曹操軍と徹底抗戦することになった周瑜達は、荊州を奪還するために、

江陵での戦いを曹仁と繰り広げますが、

襄陽から曹操を攻めるという計画を孫権の元へと伝え、攻め込もうとしていた矢先、

急逝してしまうのでした。享年36歳という若さです。


知略、武略に優れていたという彼、

曹操や劉備からも恐れられていましたが、

音楽を奏でるのが好きだったようです。

また結構音楽についてはうるさかったという話も。


映画『レッド・クリフ』や、ドラマの『三国志』に登場した周瑜も、

やはり格好いい人でしたね。

諸葛亮と並んで、軍師というのは頭が良く、格好よく描かれやすいようです。

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太史慈 子義
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